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明日はどっちだ?
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UNCHAIN DAYS チタ
皆さん待望のチタ編へ。



チタ 鳥望 人口約3000人

チタの街をインナの父アンドレイが案内してくれた。



アンドレイ。身長約2メートル 体重約120kg ビッグファーザー

僕は旅の際、あまり観光スポットには行きたがらないんだが、こうしてガイドしてくれるととても楽しめた。



何かのモニュメント



好きな人には堪らないソビエト戦車



レーニン広場はどこにでもある



ロシア正教の教会(だったはず

しばらくしてアンドレイに電話がかかり、彼の友人で日本の文化を大学で教えているトニャさんがやってくる。(彼女は自分の事をトニャさんというので)

彼女は英語がペラペラなのだが、あまり早口だと僕もわかりま千円と伝える。

チタには今日本人が一人も居ないらしい。旅行でくる人も殆どいないんだと。

そんで自由旅行でしかもモーターサイクルでこのクソ寒い秋を駆け抜けて来たクレイジーイポンスキーライダーを紹介したい!とトニャさんが言うので、翌日彼女が講義をしている大学へ出向く事に。

それと、チタの写真好きの青年とオートバイクラブを紹介してくれるそうだ。



左から アンドレイ、トニャ、アンドレイの奥さんのオルガ

トニャさんのお父さんが誕生日だというのでサプライズで来てくれとそのまま連れていかれる。

お父さんは最近ドイツに行ったんだと。かなり出来上がっていてしきりに「ベンベ、ベンベ」と言っている。

ベンベとはもちろん、BMWの事。彼はかなりの車好きときた。日本車三台なんて、いつ乗るんだろうか…

とにかく素敵な誕生会でした。

この辺の写真はあまりiPhoneでは撮影していないので、また後日。



この日の晩御飯はこの魚、バイカル名物オームリと、ウラジオストクのなんとかって魚の燻製。かなりしょっぱいのでピーヴォー(ロシアンビール)とよく合う。

翌日、大学へ出向く。



既にテレビクルーがお出迎え。

なんと、バイカル州知事までこのクレイジーイポンスキーライダーを見にきた。

簡単な単独インタビュー(もちろん、通訳付きですぜ。)を受けて、大学の教室へ



僕は大学生やってないから知らないんだけど、教室てこんなもん?

知事から挨拶。そんでトニャが話す。

知事「こっからどこまで行くのかね?」
僕「ポルトガルを目指してます」
知「じゃあ、行ったらチタへ戻ってきなさい」
僕「!?」
知「日本語教師になってくれ。奥さんはほれ、こっから(生徒たち)選べばいいんだから」

をいをい(笑)冗談だとは思うが、わらってごまかしやんわり断わった。

生徒たちからの質問

生「どうしてこんな、旅に出たんですか?」
僕「日本の元気のため、でしょうか。あとは、旅がしたかっただけですよ」
生「福島の事を私たちはすごく心配をしています」
僕「ありがとうございます。福島だけじゃなく、東北、他地震の被害に合われた方達皆さんの事もどうか忘れないで下さい。でも心配しないで、僕らはすぐに立ち直りますから。」

と、まあ一部ですがこんなやり取りがありました。



通訳のセルゲイと大学の前で。セルゲイは中国語も堪能だそうだ。日本では愛知県知多市に居た事もあるって。

夕方、トニャさんの粋な計らいでチタのモーターサイクルクラブのシーメン、
フォトグラファーのアンドレイとレオニード、
それと車の販売員のセルゲイを紹介される。



iPhoneの写真じゃわかり難いが、変なイポンスキーのためにこんなに集まってくれた。

シーメンはバイクチームではなく、ダート系の車のチームのリーダーだそうだ。

エジプトを走った事もあるらしい。

「たぶん、お前は知らないんだ、この先の道が厳しい事を…」

ん?チタまでが一番キツいんじゃなかったのか?

この日はオートバイで移動したんだが、ライトがつかなくなったことに気づき、



シーメン行きつけのリペア屋を紹介して貰う。

原因は…



キッタネー!!ので接触不良。
ここもマメに見ないと端子を痛めそうだな。解決!

その後見せたい物があると、彼らの後を走り、



旧飛行場だとか。

またもや好きな人にはたまらんでしょうね。



乗らせてもろた。



左から、セルゲイ、レオニード、シーメン、アンドレイ

レオニードは



ケンコバそっくりだ。

彼らと別れを告げ、インナファミリーの元へ。

「明日出発したいんだ。」
「明日はダメよ、雨だし」
「しかし、行かなければ」
「明日はケータイとオイルを買いなさい。」

また流れてしまった…意志が弱いというかなんというか、、、

彼らのケータイはプリペイドで、機械さえ有ればチャージしていつでも使えるそうだ。

「この先心配だから、連絡をしてくれないか」と皆からの気持ちだった。

この人達に会うと、優しさとは何かと問いたくなる。

よくわかんないイポンスキーと一緒に走ってくれたり、泊めてくれたり、色々気遣ってくれたり、

なんでそんなに優しくしてくれるのかと尋ねると

「きっと良い人だと思ったからよ」と、インナ
「我々は日本に恩返しをしなければならない」
と、アンドレイ
「アイライクジャパン!」
と、オルガ
ニヤニヤしているセルゲイ


人には優しく。

やはりこれに尽きそう。

不憫な人たちみてっかな?

あなた達にも教えてあげたいよ、この気持ち。



翌日 ちびっ子とあそぶのも最後。



アンドレイと野良仕事。



上機嫌なちびっ子



猫たち



この犬怖い



最後の晩餐。チキンのステーキ。

この日ロシアに来て初めてウォッカを呑んだ。



変な日本語を教える。

互い、住所や連絡先を交換したり、今まで撮った写真、加工しなくていいからくれと言われ渡す。

写真のお金いくら?と聞かれて
面食らった僕は 受け取れないと話すと怒りだすインナ。

「だって、あなたの仕事じゃないの!」
「これは仕事じゃないよ」
「じゃあ、日本に払うわ!」

あんた、すげー、負けたわ(笑)

金額は気持ちでいいと伝える。

翌日、出発。

腰が重いというよりは、早く出発したい焦りも強かった。

みんなと抱擁。固い握手、再会を誓う。

が、トニャさんが用事があるというので同行してくれている。

荷造りはそんなにすぐできねーってば!
慌ただしくお別れ。

おかげでウルルンにはならなかったが、孤独なキャンプをしてるといつも彼らの優しさを思い出してしまう。

この話は、また次にでも。

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UNCHAIN DAYS ハバロフスク〜アルハラ〜チタ
しばらくぶりです。ちゃんと生きてますけえ。じゃけえじゃけえ。

重い腰を上げハバロフスクを出発。

ここからが1番大変な約1000マイルとちょっと。ドキドキしながら挑んだ。

が、

全然そーでもないじゃん。そりゃ、嫌な砂利ダートだって時々あるけど、別にNo,Probrem.

いや、これはきっと二本サスのオンロードバイクの人達が言った事なのか?若しくは工事が大分進んだのだろう。

時間が約500km走ったぐらいで野営地を探しに…しかし、できそうな所はなく、小さなオピネルのナイフで熊や虎とは戦えません。

ガソスタ近くにいたオッサンに宿はねえかと聞いたらそこそこ近くにあると。よし!今日は田舎宿や!

…行けど行けどねえんですが…

今度は別なオッサンに聞く「イポンスキー、すぐ近くだ、着いてこい」

無事到着し、チェックイン。400ルーブル(約1200円)。安過ぎて不安になったが、部屋は清潔だ!ウラジオストクのゴキブリ長屋が最悪なだけね。



ブログ用のiPhone Photoなんでこんなんで許してちょんまげ。

荷物を運んでたら酔っ払いに絡まれる。めんどくせー。疲れてるから寝かせろ!と思っていたが、ビールをしつこく勧めてくる。面倒な押し問答もあったが(僕はロシア語わかんないけどね)最終的に彼らは一緒にお酒を飲みたかっただけなのね。

アトラスマップ指差して今どこなんだ?と聞くと、困っていた。きみたち、ここに住んでるんでしょうが…

一組の家族連れが現れ、聞いてみたら親切に教えてくれた。

「どこまでいくの?」
「西の果てまで」
「ウチはチタなんだけど、一緒に行こうよ!」
「マヂスカ!!」

なんと心強い!やったぜ!
ちなみに、ここはアルハラという名前の小さな街。日本人なんか一人も居ないから、リンチにでも合うんじゃないかとビビりまくりだったのだ。



セルゲイ&インナ夫妻



子供たち。フェアリングのロシア語はウラジオストクの税関に書かれた。

翌朝、少々寒い中荷作りをする。そういえば、どれくらいで行くのか聞いてなかったな。

「今日はどこまで?」
「もちろん、家までよ。」
「家って?チタ?」
「当たり前じゃないの。」

…あの〜、約2000kmあるんですが…



道の途中で。

そんでセルゲイ、どうやらオートバイに乗りたいらしい。

彼はロシア語しかわからないので、インナに通訳を頼む。

てな訳で



ライダー交代。

うおー、車は快適だぜ!眠くなるぜ!あれ、セルゲイ見えなくなってんだけど… おぉいおい、5速でぶん回しまくってんじゃん!!!…程なくして止まる。

あらま、ガス欠んなっちまった。そらそうさ、こっちはガソリンとエンジンとタイヤをセーブして300km走っても余裕があるぐらいにしてんだもの。

予備ガス入れて、それを伝えると理解はして貰えたようだ。うんうん、それでよし。

約200km毎に交代して、走る。僕は車も運転した。右ハンドル、右側走行はロシアルール。



彼らのスパシオ。逆光許して。

夕方ぐらいで約1000km。ううぅ、日本の真冬の夜を走ってるぐらい寒い…

セルゲイが代わってやると。なんかイラついとる。そりゃそうさ、250過積載で、時速150kmの車と一緒に走れる訳がない。所々待っててもらってたんだ。インナは「気にしないで、私達はあなたと旅ができてとても楽しいんだから」と。

でも、これじゃ今日中には着かないぜ。

程無くして夜。
標高が高いのか極寒でござい!
バハライトをハイビームにして、何も無い先へ。
一寸前も一寸先も闇。
辺りは真っ暗闇。
極度の緊張感で眠くなる。

…このバイク、メーターの照明ないんだ!見えないからそっちの計算で止まってくれと伝える。

あと、500kmの所。夜中の2時。彼らもやはり眠いという事なので、仮眠。

車の外気温みたら2度!
全部のオーバーウェアを着てみたが、
バイクウェアってすげー!寒くないもの。

翌朝5時半、出発。

朝も冷える。息が白い。
空が白んで行くのが美しい。
西へ進んでいるのでミラーから朝焼けを望む。
ツンドラのホリゾンタル。
大丈夫、まだ行ける!

午前10時ぐらいかな?チタへ到着。
UNCHAINDAYS ウラジオストク〜ハバロフスク
さて、やっとこさツーリングが始まったばかりなんです。

まず難関、右側走行。ウラジオストクは混雑してややこしい街並みなのでガーミンを頼りに抜け出していきます。

馬鹿の一つ覚えじゃないですが、左には行かないようにと、それだけですね。



ウラジオストク郊外はこんな感じ。既にドロドロです。

しばらく走ればM60という幹線道路に。この道路はハバロフスクへ繋がっていきます。

ドン・キホーテのよう、道路を魔物と勘違いして立ち向かう。まぁ、今日着けたらいいだろう

…? 160km走ったあたりであと620km?え、だってナビでは、ウラジオストクから640キロて…

あ、居直ってやがるこのナビ!わかった!すすめ!



オフタイヤで過積載だからタイヤのライフが早いです。空気圧はマメにみないとパンクしてしまうね。

結果一日目400km程度で終了。奥地に入り初の野営。

奥地で犬の遠吠え、鳥のさえずり、たまに幹線道路を走る車の音。人に見つかるのも怖い。

小さい焚き火をしながら、刃物を枕元に、仮眠。神経は研ぎ澄まされていく。物音で起きたらキツツキ。満点の星空。

朝。気温五度。清々しいぐらいで撤収。

再び走り出そうにもエンジンが掛からずひたすらキック。さむいにも関わらず汗だくになった。

やっとの思いで掛かったが立ちゴケ。

パニアのおかげかダメージ少なし。荷物を降ろしてバイクを起こし、また積載。

順調にハバロフスクへ着く、が、道がわからなくなり困って居た所一台の車が止まる。

彼は英語が少しわかるといい、街まで着いてこいと。大丈夫な気がして、ホイホイ着いて行った。駅までいけば大体分かるが、地図で泊まりたい宿をチェックしていると、心配したのかまた着いてこいと。またまたお世話になってしまった。

無事チェックインを済ませて彼、Michaelと固い握手を交わすと、「この先、俺みたいな良いヤツはあまりいないかもしれないからくれぐれも気をつけろよ、ヒーロー!」と言ってHONDAレジェンドで帰って行った。

今のところ嫌なロシア人には会っていない。

ハバロフスクは本当に綺麗な街で、

もう一日居たくなったので連泊。
実は、カメラのレンズが立ちゴケの際破損して写真が撮れなきゃ意味ねーじゃん、とレンズを探しに。

途中身なりの綺麗な東洋人を見かける。あ、日本語だ。



左から小澤さん、モータさん、後藤さん。

小澤さんと後藤さんは最近赴任してきた日本語教師なんだと。昼食をご一緒させて頂いた。

初めてのボルシチ。意外と淡白。

彼らがお世話になっている方にレンズ置いてそうな場所を教えてもらい、彼らもロシアのケータイを買うといって同じ場所へ向かう。



左側がニコンレンズ…一万ルーブルだと三万円ちかく…高すぎる!が、他に売ってそうな所も無いので、腹に背は変えられず購入。この程度だと日本だとかなり安いんだがな…

モータさんは用事があると行って固い握手でお別れ。

残る三人でビールを買ってお家にお邪魔した。

ココロシアデスカ??
快適過ぎで信じられなくなった。

ひとしきり飲み、お別れをして宿に戻る。夜道は危ないらしく、タクシーで宿に帰還。

そんな充実感して綺麗な街ハバロフスクいいとこ一度はおいで。

さて、今日からハードなダートへ。いい思いをしたので腰が重いが街を後に。さあなら!!

To be continue…
UNCHAIN DAYS 韓国 東海〜ロシア ウラジオストク
二泊三日の船旅を経て、無事ロシアに入国致しました。

入国はどの国より厳しく、みんななかなかスタンプを押してくれません。

入国後、手配していたバイクの通関作業を行ってくれる方が現れず。船の到着が二時間近く遅れたため帰ったのかと諦めモードになっていたら、ケインコスギみたいな奴にドきつい日本語で声をかけられた。

そう、彼がガイドのビターリーさんだったのです。

モンゴル系のロシア人が多いので、パッと見はわからないもんです。

彼はいつも起こり口調で舌打ちばかりしてますが、なかなか頼りになる男で、ついにはもう一日かかる通関作業を早めて二日で終わらせてくれた!

この写真を載せたかったが、とてもじゃ無いが撮らせて貰える雰囲気ではなかった。

通関作業はそれはそれで大変。日本でも難しそう。ロシア人のおばちゃんは舌打ちしながらニエットニエットって。オソロシヤ!ケインコスギもたじろぐ。

無事、保税倉庫からバイクを頂きました。

今回はNAトラベルソリューションさんの通関サポートをお願いいたしました。

同じくウラジオストクでは、アフリカから走ってきたヤマダさんが韓国へ向けて出発するそうなので国際船舶ターミナルへお見送りに。

貴重なお話も沢山聞けたので、とても充実しました。(後日、写真編で詳しくまた!)

さてさて、みなさんがこれを見てる頃には僕はバイクで走ってますよ。(時差二時間)



次に海を見るのは、地中海かな?Прощай, Владивосток!

次回はまた電波がある場所でお会いしましょう。
UNCHAIN DAYS 日本 鳥取〜韓国 東海港
昨日ウソの世界へ出発しました。



フル装備なのでわずか250ccのオートバイはフラフラです。
フロントに加重をかけなければウイリーします(まじで)

レーサーベースXR250R、4stシングルとはいえキック始動が非常に困難。このクソ荷物で押し掛けしてます(笑)

無事港に到着

日本からの通関手続を済ませて

ナンバー交換

積まれて行きました。

人間の出国手続を済ませて

搭乗。

そこそこデカい船です

さらば日本。また会う日まで!

ほんで出港

電波もなくなったので

お勉強とルート確認してたら船がすごく揺れ出したのでダウン。日本酒三合飲んだぐらい酔っ払う。

起きたら韓国

一度下船せにゃならなくなったので近くを散策。



牛テールスープ食す。まあまあ美味かった。

さてこれより再び乗船。国際ターミナルに白人とロシア語が増えてきた。

それではまた!
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職業:
ワールドルンペン
趣味:
music & motorcycle
自己紹介:
このたびの災害により、被災または避難された皆様におかれましては、心からお見舞い申し上げます。

1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
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