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明日はどっちだ?
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UNCHAIN DAYS オムスク〜チュメニ〜エカテリンブルグ〜カザン〜モスクワ
すんません、ちょいと他の事に夢中でした。

引き続きロシア編が続きます。

ロシア終盤、僕は生き急いでました。

バイクもほぼ毎日乗ってました(当たり前だろ)

長くなりますが、僕とモスクワまで一緒に行ったと思い、申し訳ありませんが、お付き合い下さいな。(あと、早くウクライナ編が書きたい。)

そうオムスクに居た日はとっても暖かかったので半袖一枚。

九月もおわりだから日本でもまだまだ汗ばむのは当然。ここはカザフスタンの国境近くだもの。

昨日充分整備を終えて朝5時起床。荷造り始めて出発。発艦。

まだまだ暖かかったのでセーター+プロテクター+ベルスタッフで出発。

が、幹線道路にでた瞬間極寒になる。…なんなんだよ… 道の外れでオーバーウェアを着込む。

この日は700kmばかり走れば次の街チュメニへ。これぐらいなら一日走っても疲れない。

青看板でるくらいだからきっと大きい街なんだろうか



油田で有名、チュメニ。

中学生で習った覚えがあった。
あぁ、僕は中学の頃の社会の先生があまり好きじゃなかったな。

逸れた。

充分走ったから宿を探すか〜とフラフラ。でかい街なら一つぐらいは…

一軒目「ニエット。」
二軒目「ニエット…」
三軒目「ニエーーーット!イエロースキンは帰れ!(まじで言われました」
四軒目「ニエット。ノー。部屋が無いのよ、次を当たって下さる?(この方親切に次のホテルを教えて下さった」
五軒目「ソーリー、今日は一杯なのよ」

うおあらああああロシアああああぉああ!!!!

いい!しらん!

キャンプ地を探すぜ!真っ暗な中な!と、意気揚々とヤケクソでバイクを走らせた。

あぁ、さみい。おれ、大丈夫かな…デタラメに真っ暗闇の森を走らせた。

…ダメだ!寒いのは我慢する、怖いんだ…くそー、畜生!

もしも、だ。デタラメに野営地を探して、次の朝、熊に起こされたらどうしよう?カラシニコフを持った野盗に起こされたらどうしよう?野犬に囲まれてたらどうしよう?

むむ…

明日は明日の風が吹くよね!(強がり)ロシアキャンプをする方は野営地は明るいうちに、慎重に選ぶべきです。

いいよ、コーヒー飲んで暖まって、朝まで次の街へ走ろう。これが一番安心だよ。あら、小雨だね。いいよね。

カフェに着く。バイクを止める。

あら、なんか警備っぽいおじさんがおるぜ。

警備「おい、お前!バイクこっち停めな。」
僕「はあ?カフェやからここでええよ」
警「ニエット!お前、寒いだろ、泊まってけ。わしがなんとかしたる」

え?え?あっ、ガスチーニッツア(ロシア語で宿)て書いてるがな!救われた!

この後、宿の婆様と警備のおっちゃんの対決

警「こいつ、寒そうじゃ無いか、バイクだぜ、泊めてやれよ」
婆「いやよ、外国人、しかもイポーニツァでしょ?」
警「頼むよ、なんとか。絶対悪いやつじゃないよ」

(以上、臆測)

婆様はしぶしぶ泊めてくれた、が、1000ルーブルを要求。高いよ… 足元みられまくり。警備のおっちゃんに御礼にコーヒーでも飲んでや、と100ルーブル渡したら要らない、と。

警「わし、困ってる奴からそんなんうけとれへん」

あんた、良い奴だな。日本人にもあんたみてえな奴居ねえですよ。

今日泊めて貰えなかっただけでロシアとロシア人がかなり嫌いになったが、おっちゃんのおかげでロシアがまた好きになった。

どうか、長生きしてくれ。僕ぁあんたみたいなおっちゃんになりたいよ。

次の街、エカテリンブルグで会うウラル大学日本語教諭の野口さんに電話。

到着時間アバウトにお昼。大学に居るそうだ。

そしてそんな街道沿いホテルは…

ネズミ宿。屋根裏でドタバタ。そんでトイレが激臭。かっこイイ!泊めてくれたんだもん!イイね!

翌朝、7時起床。当然モーニングなんぞありません。カフェでコーヒーを、
、、、しばらく待ったが出てこないし、担当も居ないから鍵だけ置いて帰った。

この日はとても寒かった。寒いだけならいいよ、雨。

道端でMSRでコーヒー沸かすかと思い止まるが、以前転倒した際に、MSRは真っ二つ。こんな事なら嵩張らないアルコールストーブを用意すべきだったな。

雨足が強くなりレインウェアを着込む。雨足は豪雨、土砂降り。レインウェアも通用しない。最後の靴下も、ずぶ濡れ。

RCサクセションとタイマーズを歌いながら進む。ひた進め。ロシアももう終盤だ。雨の中約400km走る。

エカテリンブルグに到着。寒いのは我慢できる、雨は上がっていた。ずぶ濡れのレインウェアの下は思ったより濡れていなかった。

下着の上は、バイクウェア、オーバーパンツ、レインウェアを履いていたせいか、バイクウェアまでは一切濡れていない。流石だよ。

野口さんに電話。当てずっぽうとナビでレーニン通りを走り、ウラル大学に到着。

初対面にも関わらず、小汚い僕と楽しくお話して下さった。翌日、食料の買い出しに付き合って下さると。

暗くなる前に宿探し。ウラル大学に着く前、郊外を隈なく走っていたので一軒目、目星をつけていた処へ。

またもや気の強そうなおばちゃん、、、手強いぜ…

僕「と、め、て…」
お「もちろん!当たり前じゃないの!」

ざまぁみろ、チュメニ!
しかし、安宿と目論んでいたにも関わらずハバロフスクの優良ホテルとあまり変わらない値段。

まあまあ綺麗だったし、何より泊めてくれただけ有難い。

その日は荷物を運んでシャワーを浴び、すぐ眠る。

翌朝、早めに起床。まあまあした割に朝飯つかづ。いいもん、寒いエカテリンブルグで宿に入れただけ。

近くの雑貨屋でコーヒーとパン。大きな街だとなんでも見付かる。

野口さんと連絡。
大凡目星をつけていた場所へ。

しかし、全然違っていた!白タクで新たな待ち合わせ場所へ。

あ、ちなみにロシアは白タクしかありません。強盗は勘弁。賄賂替りにとフェリーで買った免税韓国マルボロも携帯。しかし問題はなかった。

この日は買い出しと野口さんの日本語が流暢な生徒さん達、日本語クラブの皆様と会う。



左から、野口さん、日本語クラブの皆様。

ワンピース、僕は読んだ事ないけど人気なんだって。へー。

関西弁の教科書をめくる。関西弁の勉強て…

そう、ウクライナ語は方言みたいなもんだと思っていたが、後日書きますがキエフで会ったモスクワ出身クリスティーナの話だと全然違うそうだ。

関西弁も、違うっちゃ違うかな。。。

話に聞くと、僕のホテルがある場所は大変治安が悪いとか。

明るいうちに、去る事に。帰りは少し慌ただしかった。

東京でもバスがわからなかった僕、帰りはそれでもなんとか乗って帰れた。
ロシアの公共交通機関、ロシア語読めなきゃキツイな…

大体三週間近く経っていたので、キリル文字は大分読めるようにはなっていた。

程なくして帰還。東京の阿部くん、田村くん、貫井くん達と久々にSkypeで話す。

翌朝、遅めの起床。ルート的にはM7を通るカザンという街へ。

キャンプ出来るよう、食料もある。野口さんから頂いた緑茶もある。大丈夫。発艦。

この日は久々晴れた。街道沿いのカフェで飯食ってたら、三人組に話しかけられ、ロシア語わかんないけどジェスチャーで盛り上がった。

カザンに行くというと、「ニエット、ニエート!メイビー、ユー、ダイ!ザットイズバッドロード!」

はぁ?しかし、こっからならここしか道ないやん。

「とりあえずペルミへ行け。宿もある。お前にポルトガルまで行って欲しいからいうてんねん!ペルミからキーロフへ行け!」

今思うと、彼らはこう言っていたに違いない。それは次の日に知った。

ペルミの街の入り口にモーテル発見。下にマーケットも付いてた。カップ麺をすすって、眠る。

翌朝、犬の遠吠えで目を覚まし、起床。暗い中、エンジンに火を入れて暖気。

フロントは眠そうだったが起きていた。鍵を返し、発艦。

もうウラル山脈なのか、寒かった。気温は1度。やるね…

1度の気温のなか、オートバイで山を駆け上がる。なんて事はない、寒いのは我慢が効くんだ。暑いのと雨は、嫌い。

中腹から晴れた午後2時。絶景だ。



絶景



モスクワがやっと見えて来た。これだけでも感激。今迄の道のり考えたら1352kmなんて、ヘソで茶を沸かすぜ!

山脈の下りの中、ガソリンスタンドを見つけて入る。この近辺、ガソリンスタンドがあまり無いので、これから走る皆様、携行缶必須です。

見つけて入ったがいいが、何故か前の車が出て行った。

なんでや?と思っていたら彼が、

「ニェ、ベンジーン(ガソリンあらへんで)」

う、売り切れ!?チキショーめ!プルンプルン!予備ガス入れて、リザーブ。こっちもギリギリなんすけど…

走れど走れど、あらんのです。

やばい…やばいぞ…



あっ、回さなければ燃費いいのね。5リッターぐらいしか残ってなかったにも関わらず、150kmぐらい走ると見つかった。心底ホッとした。

ガソスタのおばちゃんも何故かホッとしてた。なんのこっちゃい。

夕方近く、小さな街にぶつかる。カフェに入ると街の結婚式に遭遇。

ウェディングドレスの太めなチャンネーに、「ヤ、ハチュ、フォトグラフィエ、トゥギャザー、ダバィ?(写真とりたいんさ」と言われ新郎新婦に囲まれ撮影。

一人運転手が「お前、英語わかる?」と。

運「お前、こっから、危ない、道ない。心配するな、船ある、しかし、今日はもう無い」
僕「え?船てなんや?なんでや?」
運「今日はどっかで泊まれ!お前、今日、いく事、出来ない?」

???

なんのこっちゃい、ガーミンみたらちゃんと道があるぜ。

…ペルミ手前で会った奴が言ってた事…



程なくして走るがダートにあたる。

なんでえ!こんなもん!この程度今迄散々走ったじゃないか!…か?よよ、おろろ、あらぁ… ドシャ(効果音

フロントが取られて転倒。んん?パンク?は、して無い。

足元をみたらパウダーサンドのダート。あぁ〜まいったね。これは大変だ。(他人事みたく)

ヨッコラショとバイクを起こすも、ダメ。マディ時と同じく荷をほどく、も手こずりながら



起こせた!いつもこんな時は、遭難と死を意識してしまう。寒いのに1人汗だく…

薄暗くなってきたので野営地をさがす。

今度は恐れていた奥地でスタック。荷物だけ野営地に運び、設営。なんか大きな足跡が…

た、たまたまだよね、ハハ…

奥で銃声が聴こえた。もう、キャンプは懲り懲りだよ…日本に帰ったら、キャンプ場でぬくぬく焚き火したいなぁ。

疲労が嵩張り、即就寝。寒さも気にならぬほど眠る。此のまま眠ったまま目を覚まさないなんて事はできません。

朝早く起床。雨音に起こされ、そそくさと撤収準備。

雷まで鳴り響く、このままこんな処で二泊するのは最悪だ。街道に戻るにあたって、立ち向かうべく、またもや泥沼の抜け道へ行く。

走れど、走れど、雨、あめ、アメ。
パウダーサンドは水分を含み赤土へ代わる。

ゴーグルは曇りと泥とでぐっちゃぐちゃ。外すとメガネも何もぐちゃぐちゃ。

あっはは、ひでーやと1人笑い出す。耐えろ、堪えろ。これぐらいじゃもう、へこたれないだろうが。

ガーミン頼ってダートを進むと、あっ道が無い… 橋がない… 河やで。



無いじゃん、無いやん、ニェ ロード!
ウホッ♂ あぁん!?

ガーミンみたら河渡ってるし!チキショあらああああ!河渡ったる!

やめた。だって、淀川以上多摩川未満だもの。無理無理。

昨日の運転手の言ってた事を思い出した。遠くをよく見たら車の行列とポンポン船。

積み終わってるようだがなかなか出港しないからクラクションの大合唱。たはは、鳴らしたとこで船は進まないよ。

豪雨から土砂降りに代わり、ようやっと船が出港。気付いたら自分の後ろも車だらけ。

こっち側に到着。車と人が降りてきた。よし、船積んだれられあ!

が、船側が乗せまいと。なんで?ニェーットと時計を指差す。出港迄あと45分。
ここ今何時だ?カザンならモスクワと同時刻なんだが… あぁっ!時間だけモスクワ!がんばれ!おれ!

20分ほど土砂降りの中待たされ、漸く船積み。車も続々と乗る。

料金所担当のおばちゃんに幾らか聞いたら15ルーブル。約45円… 十倍出すから早く進め!なんて思ってしまったが、納得して肩を竦めた。

そして出港!あれ?向こうからくる時よりえらい早いやん。あぁ、もう車乗れないからね。ハラショー…

土砂降りのなか、船が進む。皆車で待機。僕、看板の小さな屋根がある処で雨宿り。

船に乗ってる時間だけなら五分程度。なんなんだ今のは…(ブロリー

所が、停泊してから一向にゲートが開かない。寒さと雨とにヤられてイラつく気にもならない。

小一時間待たされてゲートオープン。僕はパチンコやらない、バーゲンにも行かない。アホくさ。って思っていた彼ら彼女らの気持ちが少し理解できた。直ぐにでも降りたかったが一番始めに積載したため、一番最後に降ろされた。



写真を撮る気にもなんない。

船を降りた道も変わらず、マディのダート。うはは、走ればいつか着くさ。だって誰も悪くはない。

ダートダートダート、しびれんねえ。お、土が固くなって…ターマック。

N本さんが貸してくれたRONG WAY ROUND で ユアンの相棒チャーリーがモンゴル走り抜けて行く際にやっとターマックに出会った時、道路にチュッチュしてたっけ。

当然僕はしませんよ。

しかし昔流行ったYATTA!YATTA!となんかのコメディで歌われてた歌をくちずさんだ。雨、寒い、だけ!前進のみ!後退なし!

路面がみるみる良くなった。イイね!そして晴れてきた!

エカテリンブルグからカザンは1000km程度しかないのだが、攻略するのに丸三日かかった。ウラル山脈とこの雨とこの道だ。仕方ないと思った。

カザン着。ここは有数の国際都市であり、イスラム圏でもある。
モスクの色が余所とは違う。と、野口さんに聞いていた。

とりあえず身も心もぐっちゃぐちゃだったので、こんな姿で泊めてくれるかわからないが、濡れた上着達を脱いで、顔をタオルで拭いてからホテルに聞いてみた。

一軒目はダメだった、が、同じ建物の九階が、別なホテルが貸してるとのこと。行けば問題なく泊めてくれた。

ホテルのレセプションのおばちゃんは
、どのおばちゃんもいつもロビーに座って紅茶飲んでTV見ながら編み物してる。…僕が社長なら貴様らクビだ。

ブーツや上着が可哀想な事になっていた。タオルで拭いて、乾燥しやすい場所へ。

グローブも俗に言う雨臭い。よくこんなんで泊めて貰えたよな、なんて思いながら濡れたもの達を乾かす段取りをして、床に就く。

翌朝、いつもより遅めに起床。サッサと出発する。うまく行けば今日一日でモスクワに到着出来るだろう。

しかし、都会が近くなればなるほど、道が渋滞し始めた。

待てど暮らせど進まない、痺れを切らしてすり抜けを試みる。
行けど行けど、渋滞が終わらない、モスクワまであと500km。これ、続くんかいな?…

どうにもこっちのディーゼルの臭いがキツい。日本はやはり燃料の精製がいいのか、それと触媒の性能も違うのか。酷い頭痛に見舞われたのでこの日中にモスクワ到着するのを諦めた。



運良く街道沿いにモーテルがあったのですぐに入って、眠る。

翌朝、7時起床。
戦争映画の最後辺りの気持ち。もうすぐロシアも終わりだ、最後まで気を抜かぬようと突き進む。



アルファベットの看板。

やはり渋滞だらけ。日本だと群馬千葉埼玉神奈川、周りの県も混むものな。

ゆっくり進んだが、連日の苦行により、尻が痛くなって道のハズレにて休んでいると一台のBMW。

BM「よう、Jマークか、イポーニョだな。どうした?」
僕「渋滞で疲れたから休んでいただけだ、問題ないよ」
B「そうか、モスクワまでもうほんの少しだ。安心しろ。あと、ウチのクラブのステッカーだ。幸運を祈る!」



名前を聞く間もなく、フルスロットルで、去って行った

都会のライダー、というかヨーロッパのライダーの感じだ。ここはもう、モスクワなんだな!

渋滞を抜けたら、中心の城が見えた。現時点で走行距離9700km。熱い物を感じた。



チタのインナの兄弟、アレクセイに電話。

しかし、彼は都会の人なのかなかなか電話にでない。
電話が繋がったがとても素っ気なかった。

「困った事があったら言ってくれ。すまない、しばらくとても忙しいのだ」

あぁ、そうかあ。いや、僕だって親兄弟から「外人がバイクで東京行くから面倒見たってや。」と言われても、仕事が忙しい中なら困っちゃうよね。

でも、今の僕なら面倒見るけど。

目星を付けていたユースへ、予約をしなかった自分が悪い、断られた。世界のど真ん中で僕は疲れて座り込んだ。

そんな所に一組の夫婦。

夫「どした?ライダー?」
僕「宿みつかんないし、疲れたよ」
夫「よし、俺の父ちゃんホテルの偉い人なんだ。モスクワは世界一物価が高い。俺が格安に頼んでやるよ!」
嫁「あんた、すごいラッキーよ!」

僕もそう思った。何を隠そう彼らもバイク乗りだったのだ。

夫「俺はイーマハのYZF R1に乗ってる。見ろよ、ジャケットもダイネーゼだぜ!」

ホテルへ先導してもらう。宿の料金を見ていたら一番安くて8000ルーブル…大丈夫かよ…

嫁「心配しないで、あなたは2000ルーブルでいいのよ。」

ありがとう。優しいのう。

嫁「本当はウチでもよかったんだけど、明日から新婚旅行なのよ。今度またモスクワにおいで!私達がお持て成しするわ!」



親切すぎるインリヤandセルゲイ夫妻

うん、うん、と連絡先を交換。困った時に良い出会いがやってくるんだな。
こんな大都市で、ジ〜ンときた。

翌朝、ウラルとダート越えでゴーグル二つとも破損したので、新しいものを購入するのと、またもやホステルさがし。今度は予約をした。

モスクワの大渋滞。本当に疲れる。ちょっと先に行くだけでも、なんじゃいこりゃ… 東京の比にならんぞえ。

ホステル着。「バイク?ニェーット!」

二軒目「あれ、今日うち空いてないわよ?」

三軒目に行く途中ヤマハの文字を発見。オークリーのスノーモービル用ゴーグルを購入。

ウラジオストクから来たと言っただけでヤマハのお店で撮影攻めに。先を急ぐと言って、早めに去る。

大渋滞をくぐり抜け、漸く最後のホステル。すんなり泊めてくれた。

ここでもバイクか?と聞かれて、都会の人っぽく、素っ気なく
「あんた、キ◯ガイ」と言われた。

明日、モスクワを去ろう。
結局、都会は都会。便利だろうけど、形はあるけど、何にも意味を持たない。

田舎が好きで田舎に憧れる僕は、ただの都会のつまらない人間なんだと思った。それだけで無気力になってしまった。

翌朝、モスクワを、ロシアを出発した。
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番外編 私が見たロシア&これからロシアを走る方へ 2011版
えー、更新は追い付いてませんが、近況報告を。

無事ロシアを抜けました。

チェチェン問題やら広過ぎて謎が多すぎる国で、準備段階で何度ももルート変更を考えましたが、色々な人の協力から結果走り切る事ができました。

旅を始めてまだまだ短い時間ですが、色々な人と過ごした時間は僕にとって掛け替えの無い財産となります。

だらだら長いブログを書いておりますが、実は障りだけで、大分端折っているので、いつか本にでも出来たら良いなと思います。

それと父からのメールで「男磨きの一人旅だから私は深く干渉はしないが、色々な人が関わっているのを忘れるんじゃねーぞ」という言葉。
本当にその通りで家族や、待っていてくれてる友人達、読んで下さっている日本の不特定多数の方々。
皆様の協力ありきの旅なのでその辺忘れないよういたします。ありがとうございます。

なんだかもう旅が終わるような前振りですが、まだまだ続きます。ご心配なさらず。

さて長引きました。

ロシアとは、

元々ソビエト連邦という広大な社会主義国家。簡単に条約を破るようないい加減な国。悪。危ない。まだまだ謎。なような印象はまだまだ僕ら日本国民に根強く残りますね。さて、ここからは僕の独断と偏見。

•東シベリアと西シベリア

東シベリアは田舎、な印象はありますが人々は皆暖かかったです。特にチタは僕にとっては忘れられない街になりました。ハバロフスクは色々な街の中で一番綺麗でした。

しかし、軍事都市であったウラジオストク、あまり良い印象は無いですね。
汚く雑多な。バッドピープルも沢山ウロついております。

西に行くに従って、街の規模は大きくなり、人々はそっけなく、渋滞と警察が増えてきます。

カザフスタン近く、オムスクという街は規模こそ小さいですがここも過ごし易くいい街でした。

少し西、エカテリンブルグは少し旧都市な印象。中心部は少しアメ村に似ていた気がします。

ウラル山脈を越え、モスクワへ。

沢山な人々、車。外資系企業(ニコン、キャノン、サムソン、マクドナルド、スターバックス)の看板、ネオン。

モスクワの大都会、都会は何処でも都会なのか、一人オートバイで寝床を探すのは仕事で終電逃した後の新宿を一人練り歩く日々に似てまして一刻も早く抜け出したくなりました。

•人々

男性は陽気です。よく笑います。ただ、酔っ払いでよく怠ける感はあります。

女性は気立てよくしっかりさん。八方美人では無いけれど、困っていてなんだかんだ先人切って助けようとしてくれるのは女性が多かったです。

簡単に言えば珍しがって話しかけてくるのが男。困っててどうすっかな〜なんてしてる時助けてくれるのは女性です。

ただ、ガソリンスタンドのおばちゃんは皆無愛想ですぐ怒るので気をつけましょう。

稀に変な奴は居ます。僕は二回ほど「金をクレ」と凄んで迫られましたが、アホのフリ(元々アホですが)して「わかんねーよ」と日本語で言ってしまえば彼らはどっかに行きます。

•言葉

ロシア語です。正直わかりません。しかし、安心してください。理解するまで説明してくれます。

たまに、英語で話して下さる方が居ます。が、ご安心下さい。普段日本で英語を使わない僕らでも大丈夫です(僕でも大丈夫と思えば)。

何だかんだで、話せると判ると安心します。自分の意思が少しでも伝われば。

・物価

2011年10月現在、1ルーブル=3円ちょい。

水、酒、煙草、ジャンクな食料は安いです、が、レストラン、ホテルなんかは高いです。この辺はヨーロッパ共通かな。

特に、首都圏以外はユースホステルなんぞありません。

ホテルは小さな街でも3000円〜

大きくなると6000円〜 ですね。

•車、バイク

東シベリアは右ハンドルの中古日本車がメイン。西に行くにつれて、ヨーロッパフォード、ルノー、シトロエン、シュコダ、ベンベ、ベンツや欧州仕様の日本車が増えてきます。

運転マナーは、東については東京よりマナーが良いと思われます、が、西につれてヨーロッパ式の荒々しい感じが出てきました。所々事故渋滞してます。

例えば、三車線道路が四車線になったり、無理やり割り込んだり、、、。

総評すれば「大阪以上東京未満なマナー」だと思います。

バイクですが都市部は主にジャメリカン(スティードやイントルーダー)、最近の水冷4気筒のSSやらネイキッド。たまにKTMやベンベ。

SS乗り達はみんな、ちゃんとプロテクター付きの上下を着てます。バイク乗りのステータスなんでしょう、彼等が着ると様になります。

日本人は…頭デカイし短足チビデブ…ほんでテカテカなプロテクター付きのツナギにバレリーナでSS…だから好きにはなれないバイクウェア。モデルと同じ格好してもモデルになれない感じか…

田舎に行けばノーヘルでウラルサイドカー。それ意外は2stの東ヨーロッパ系バイク。

これらがなかなかいい感じに農道を走ったりしてます。サイドカーに野菜や果物を乗っけて。



ヨーロッパスタイル。

•公共交通機関

トロリーバスと普通のバス。路面電車、大都市では地下鉄。それにタクシー。僕はバイク移動なのであまり使いません。

バスにはハバロフスクとエカテリンブルグで二回乗りましたが、正直怖いです。

車内では運転手の好きな音楽が延々爆音でかかってたりします。なんだか笑えてきます。

タクシーも何回か。日本円で約600円で街中なら何処へでも、です。

安定してないからトロリーバスや路面電車はよく止まるそうな。モスクワで壊れていたバスを見ました。

•食

都会のレストランでは一回しか食べた事がないのであまりよくわかりませんが、

田舎の街道沿いカフェ。大体300円程度でパン3切、スープ、コーヒー、さらに一品食べれる感じですね。

もちろん英語、USD、カードは使えません。頑張ってロシア語で頼みましょう。

当然僕もメニューは読めません(笑)
あてずっぽうで頼むんですが、何かと勧めてきます。要らなければちゃんと「ニエット、スパシーバ」と言いましょう。

あてずっぽうリスト

•ボルシ(ボルシチと言うと伝わりません)
•サリャンカ(後半ボルシチに飽きたからこっちを頼んでました。)
•フリェープ(パン。必ずスコーリカ?と聞かれるので、数を言いましょう)
•ミャーサ(と言えば肉です。なんか勧めてくるから適当に返事をしても大丈夫。)
•ブリニィ(ロシア風クレープ。練乳がけもあれば肉が挟まってる物もあります)
•コーフェ(コーヒー。)
•チャーイ(紅茶。)

夏を走るひとは暖かい物頼まないかも。

こっからはロシアを走る人向け

•道路

前半東シベリア(ウラジオストク〜クラスノヤルスクあたり)は、チタまでが大変で、大陸横断した方々のブログでは皆シベリア鉄道に乗せてました。

が、2011年現在、舗装は大巾にに進んでおります。

冬は工事が進むのかはしりませんが、来年度あたりイルクーツク〜クラスノヤルスクのダートも殆ど無くなってるかもしれませんね。

後半(クラスノヤルスク〜エカテリンブルグ〜モスクワ)

道は大方良くなります。が、ウラル山脈近くなると天候が大変不安定になります。雨具、防寒具を忘れずに。

エカテリンブルグからカザンという街を通る幹線道路M7ルートは絶対お勧めしません。

山脈越えた後、パウダーサンドのロングダートに差し掛かります。オマケに雨が多いらしく、軽く絶望的になります。

さらに、M7という幹線道路は河に差し掛かると同時に、橋がありません。

15ルーブル(45円ぐらい)で渡し船がでてますが、こいつが平気で遅れたり、さっさと行っちまったりするので、本当にM7を通るルートは辞めましょう。



ねっ?

この変の細かい話はまたブログで書きます。

バイクですが、当然ヨーロッパ抜けてく方々ですよね?過積載でしょう。

オフロードバイクをお勧めしたいです。野営地を探すのも困りません。

過積載で、マディのダートで転んでも、誰も助けてくれません。なるべくシングルのマシンをお勧めします。

個人的にはDR650やXR250、400、600。新型の水冷だと飛び石クラックは心配なんでタフな空冷エンジンが良いと思います。

バイクのトラブルですが、僕は一どもパンクしなかった。空気圧保つのとチェーン注油は毎日やるべきです。

モスクワ手前でフロントフォークオイルが漏り始めました。液ガスケットとタオルで応急処置してます。シールがケルンに届くまで。

ガソリンですがオクタン価80〜95があります。

通関のケイン小杉も言ってましたが、迷わず92を入れましょう。95のハイオクは混ぜ物だらけで危険だそうです。

当然、英語は通じません。

「ベンジーン、ジビノースタフタローエ、ジェーシチリットル」(オクタン価92を10リットル)と言えばなんとかなります。

スタンドは主に有人セルフ。余ったら釣りをくれます。

ガソリンの価格ですが、日本円で90円程度。値上がりしたんだと。

・宿、キャンプ

宿に関しては小さな街でも一件はあります。が、断られる確率は半分ぐらいです。駄目元で行きましょう。

モスクワ近くなれば、街道沿いにモーテルが出て来ます。大体日本円で3000円と日本のカプセルホテルぐらいの値段ですが、設備も悪くなければ、清潔で過ごしやすいです。

モスクワ、サンクトならユースもあります。が、注意して下さい、渋滞だらけで辿り着けません(詳しくは日記で)。ホステルクラブ等での予約は余裕をもっていきましょう。

キャンプですが、東シベリアは野営地が探しにくいです。人や動物のリスクを避けるには、やはり奥へ、奥へと…

クラスノヤルスク過ぎたあたりから景色も見晴らしが良くなるので、探しやすくなります。が、平地に見えても意外と草だらけ…なので見えない泥濘や池に注意しましょう。

水はそこら辺のカフェに売ってます。大体、90円ぐらいで1.5lぐらいかな。間違っても炭酸水で作ったコーヒーは飲めたもんじゃないです。



他に何か知りたい事がありましたら、わかる範囲でお答えします。

ウクライナ、キエフからお送りしました。
UNCHAIN DAYS クラスノヤルスク〜ノボシビルスク〜オムスク
観覧の皆様、こんばんは。

最近はロシア語を少し理解してきました。
もちろん、話せないけどね。

今の所、こてこてのラーメンを夜中にずぞぞっ、てしたい欲望以外は日本が恋しくありません。

おかげで10キロ近く痩せましたね。

さて旅の続きを。僕の安否確認の意を込めても更新の義務はあります。

クラスノヤルスクの看板が見えた頃、たて続けのキャンプから血走っていた。

「お湯が出るシャワー、ちょっと酒、安眠」

情けない、全く持って、今考えても情けない。

んなもん、無くたって生きていけるには違いない。

たった2日、しんどいキャンプが続いただけでこれじゃ、まだまだ情けないギリギリ昭和世代を代表してますね。

話は少し逸れるけど、興味深い話を最近聞きまして。

「旧ソビエト世代とロシア世代、昭和全盛世代と平成世代は同じようなものだ。」

極論から言うとロシア世代になるとあまり酒は呑まないそうです。僕らが思う「ロシア人、ウォトカ、しょっちゅう酔っ払い」、これは「日本にサムライまだおるんけ?」みたいなもんだとか。
そんで仕事は卒無く。ただ、心の裏側までは簡単にさらけ出さないとか。

「近頃の若いもんは〜…やるじゃねえか…」な感じ?

でも、なんだかな〜。仕事を卒無く(結局僕はうまく出来なかったから、今こんなに楽しいんだけど)、は、迷惑かかんないから良いかもしれないけど、良い人ぶって手の内見せないのはやはり悪だよね。それでも「はいわかりました」と言えなかった僕は仕事の出来ない人間でしょうが、今更道間違ってない。血尿でても病院行かせてくれないぐらいなら。なんてね。

出世したとたん冷たくなった人。都合よく扱う為に餌付けする人。まぁ、こんな人達、このアホにすら手の内読まれてますよっ、て。

一緒に仕事をするという事で、いつからクリーンな人間関係が築けなくなったんでしょうか。そう考えてしまうのは僕が屈折したからか?

こんな事言うからつかえないとか、生意気、とか言われたんだろうけど、今は知ったこっちゃねえよ。

おっと、話が逸れた。

ここはこんな批判を載せる場所なんかじゃないよね。僕は人並みに陰険なんで悪しからず。

並ぐらいのホテルにインしてオートバイの隠し場所を指定してもらい、近くのマーケットへ行こうとする。

晩御飯と次のキャンプのために、食料を買い出す、予定がチェックインして横になったら朝まで眠った。



連日の苦行で汚いのは僕だけじゃない

翌朝7時、暗いけど発艦(なりさん、これ好きなんで使わせてもろて良いですか?(笑))
パッキングは日に日に早く、慣れればどって事ない。

ロシアは大きな市街地に入れば暖かいのですが、またもや幹線道路に入ると気温が一気に下がる。

ツンドラのホリゾンタルから緑地、昔地理で習ったやうなコルホーズやらソフホーズやらを見ながら。

ロシアではお米も作るそうだが、田園など西の地区まで走っても見当たらない。ま、良いけど。

日差しも気持ちよく、またもやキャンプ。野営地も探しやすくなってきた。

大きな転倒すらしてないけど、野営地探しはいつも命懸け。明日に繋がると思うと真剣。

この日は良い場所が見つかり、久々に凍えず朝まで快眠。

日の出前に撤収してあと400km、ノボシビルスクへ。

走れど走れど吸い込まれるような直線。ノボシビルスクはロシアでも三番目に大きい都市だと「地球の彷徨いかた」に書いていた。

ほど無くして到着。

街中にも大きな幹線道路。なんだか、首都高というよりは新御堂のやうな。

「地球の彷徨いかた」に書いていた安宿を探す。が、見つからない。走れど走れど大きな街に吸い込まれて行く。

少しでも良い、英語が通じそうな人に声をかける。

が、この人英語わからず。しかし、親切な事に英語の通じる同僚を呼んでくれた!

同僚「なになに?ここへ行きたいのか?」
僕「そう、そうなんです!」
同「じゃあ、おれについてこい!」

やったー!やったやった!

…と思ったのもつかの間。

ここ、なんもないやん!

同「自分、どっから来たんや!?」
僕「JAPAN!」

彼はおぉー!といい握手!

別れ際に「がんばれよー!」

が、ここ、違うって(笑)

がんばれよー!は、「おれわからんから自分で探してやー!」な意味?

ぬぬ…わかった。ここまで来たらロシアも半分。なんとかしたるわい!

そこから走る事五分、宿のマークを発見。

ウホッ!Wi-Fi書いてるやないか!

すんなり泊めてくれるし、Twitterで知り合ったイマイさんがわざわざ送って下さった地図に入っていた割引券のホテル
(たまたまだけど、ぼくはついてる!)だったし、
バイクは倉庫に鍵付きだし、フロントは英語が通じる人も居るし、何よりすんなり泊めてくれるし、最高じゃないか!やったね!

しかし、Wi-Fi使えず。なんだか調子があまりよ無くないんだとか。そこそこ綺麗だし、何よりすんなり泊めてくれるから(こればかりはね…)いいんじゃねえかと割り切り、またもや直ぐ就寝。

翌朝、日の出ぐらいに目覚め。

さっさと撤収。オイルとバイク屋探し。

この日でバイクは6200km走っていた。オイルはちゃんと替えなきゃ。なんせ、ちょっとシリンダーを拡張してるだとか。

フラフラ走るが見付からず。まぁ、休むかと中心の広場。

路上Wi-Fiで安否の確認終えた頃、ランドローバーに乗る男が声をかけてきた。

「おぉ〜イポニなんとか!」
と言いながら握手。
でも何言ってるかわかんねえ!
ついでだから聞いたれ!

僕「お兄さんこの辺のバイク屋しっとるか?」
兄「おぉ?んん?ちょっとまて、電話で友達に聞いてみるわ」

……

しばらくして、この兄貴の同僚の男!

同「オレちょっとだけ英語話せるよ!どこ行きたいん?」
僕「バイクは行きたいねん。しらん?」
兄「あぁん?いま電話で友達に聞いてる所やがな!!(憶測」

しばらくして兄貴が電話を切って同僚に話す。

同「ここもどって700m!近くにあるよ!」
僕「おぉ〜!どうもありがとう!センキューベリーマッチ!スパシーバ!」

彼等は仲良く去って行った。

「同僚」は英語が話せるらしい。ここは都会。良い確率だ。

そしてエンジンに火を入れ出発。

…閉まってる!

時間は昼の11時。バカな!

仕方ないから他を当たろうと彷徨う。
ABTO(アルファベットだとAUTO)の文字が書いてる場所にて聞き込み。

がっ…ダメっ…。まず言葉も通じる気配がない。

一件間違えてパリダカファン御馴染みのKAMAZ(ロシア製トラックメーカー)のお店に入ったら、えらい剣幕で怒鳴られた。こえー、道端で会うロシアのトラック野郎はみんなやたらと優しかったのに…

フラフラ国道方面に走ればオイル屋を発見!

しかしバイク用は見付からず。だが、シェブロン発見!安くて品質もいい!アマリー、モチュールは車用だけしかなかった。

そいえば、別にトラじゃないんだから無理に鉱物油探さなくても…でも空冷だし、一時期滲んでたからいいんじゃないかと購入。その場でさっさと交換した。

あとはタイヤ。これも道端でやっても良いんだけど、やってる最中ひったくりに合ってもやだからやはりバイク屋探し。

ねえな、ねえやと彷徨うと、一台スズキのバイク!

男「おぉ〜い!なんとかかんとか!(ロシア語わかんねえ)」
僕「やあどうも!所でバイク屋しらんか?」
男「知ってる知ってる!一つ目右行ったらも一つ右だ!」

礼を述べてお別れ。よっしゃ!

…またも閉店。

今日はなんだ、メイデイか?
もー、いい。ノボシビルスクなんて知らない。

タイヤは次の街まで持たせよう。頑張れ!

僕は次の街オムスクへ。この日は陽気な陽射し。

気持ちよく走っていても、幾度か街にぶつかるせいでペースは上がらず。

しかし、僕は西へ西へと移動しているから、一日が25時間ぐらい。午後はいつも太陽の方向へ。

途中、大陸横断ライダーとすれ違う。お互い、雪降る前に抜けなきゃだから急ぎ足だよね。手を降って挨拶。

バイカル湖手前でもよく見た。ルートこそ違うが、同じ境界線を行く者達だ。
お互い達者でという意味で手を振って別れる。
この挨拶は、日本だと特に北海道ではそうなんだが、シビれるんだよなぁ〜

ほど無くして野営。この辺りはとても野営地が探しやすかった。

が、就寝時にアリに噛まれまくり。こいつら、いつ入って来やがった?

翌朝、テント撤収して気付く。アリの巣の真上に設営してた事に。しょうがないね〜

この日はなんもなくオムスク到着。またもや宿をさがすべくフラフラ。

途中、ロシア製LADAにのる顔が我修院達也な男が「なんとかかんとかー!(ロシア語)」

わかんねーよ!て日本語で返したら英語で「どっからー?」と。

僕「日本!あんた宿しらん?」
我修院「おーしっとる!着いてこい!」

心強い!が、ノボシビルスクの件もあるからなあ…

すぐみつかる!激安!の割には綺麗!我修院に感謝!明日は丸一日かけてベビーメンテとタイヤ交換しよ!

その日一階のカフェではウェディングパーティーが行なわれていたので、やかましかったが、やはり疲れたのか即寝。

翌朝、リア周りを慎重にバラしていると一人の男。

「ハロー。英語いける?」

彼はアレクセイ。ウェディングパーティーの首謀者。

ア「どっから来た?」
僕「日本!ウラジオストクからここまでバイクで!」

アレクセイは笑いがとまらなかった。

ア「お前、軽く言うけど何キロあんねんな」
僕「大体7000kmぐらいか?」
ア「腹減っとる?昨日の残りやが食うてけ!」

ホイホイ朝飯ご馳走になった。まぁ、朝だけど何故かウォトカを呑まされまくったが…


アレクセイ一派。おれひでぇツラ。



ケーキがとてつもなく大味。コーヒー無しじゃ食えぬ…



人生2.5度目だがなんとかなったタイヤ交換。

アレクセイより、アレクセイの彼女、サーシャがとても流暢な英語を話す。あまり流暢すぎるとおれもキツイ。が、まだわかる範囲。
アレクセイは拙い英語で色々話してくれる。こういう英語のがわかりやすくていい。

彼等は昨夜から起きぱなしだったので、少ししんどそう。連絡先を交換した後、帰って行った。

その日は一日バイクを労わり、僕も早めに休んだ。大陸横断には、こんなゆっくりホリデーは大事。

オムスクはあまり大きな街じゃないからつまらないと彼等は話すが、僕はこれぐらいのが好き。
何故なら、大きい街ほど人と密接に出会わないし、何より見渡せないからだ




オムスク近郊。この街は好き。

これからまた、大変な試練の日々が続くとその時の僕は知らない。
UNCHAIN DAYS イルクーツク〜クラスノヤルスク
御観覧の皆様、今日は。

現在は西シベリアに居てとても暖かかいのですが、一番寒かったこの三日間。

イルクーツクのホテルで、小汚いライダーの僕。しきりにいかつい男が「バイケル、バイケル、ホンダホンダ」と言って近づく。

バイケルはロシアでバイクの事。お前はどっから来たんだ?と聞かれる。

僕「イポーンだ」
男「イポーン…遠くからきたんだなぁ〜」

なんか彼はしみじみし出したので僕はチェックインを済まして、去る。

なんだか疲れたしホテルは予想より高かったので、ビールぐらい飲んでもバチあたらんだろと下のレストランスペースへ。

ほんとはその辺のマーケットに行きたかったが夜は大変危ないから出歩かず。ホテルだと大体200ルーブルぐらいだから一杯だけ。

そしたらそのいかつい男一派が。



男「呑やらないか」

あわわ…

彼らはモスクワからきたんだと。

いかつい男、トムは英語が話せないので、隣の女性に通訳を頼む。

そしたら、ビールとオームリという魚を頼んでくれた。

「オームリの寿司だってあるんだぜ。俺たちは寿司とサケが大好きなんだ。」と何故か誇らしげ。


すっかりご馳走になってしまい、感謝の気持ちを述べ、お別れをする。

翌朝、イルクーツクからクラスノヤルスク。北西へ向かう。

ここから幹線道路M53。しばらくは綺麗な道が続くんだが…

雨。

この日は旅にでて約10日。初めて雨に降られた。

気温がみるみる下がる。

これ、雪にならなきゃいいなぁ、、なんて思いながらカッパ着て走る。

小さいけど栄えてそうな街に。今日はもういいや。少しは進んだし、宿に入ろう。

早速宿を見つけて、英語混じりのロシア語で泊まれるかをオバチャンに尋ねる。

「ニエット」



何故かと訪ねても

「ニエット、ニエット。さっさと去ねや。(憶測」

なんと!ヤマダさんも言ってたけど断る宿ってあるんだ…

さっさと去って他を当たろう。…

無い。

宿なんぞありません。

うおー、そんな…

とにかく寒いし雨だし…どうすっかなぁ…

カフェに入る。暖かいコーヒーとボルシチで暖をとる。

作戦会議。とは言っても方法はただひとつ。

キャンプ!

あー、できればキャンプはしたくない。

•キャンプのメリット

宿代がかからない
荷物を部屋に運ばなくていい

•キャンプのデメリット

人に見つかると危ない
動物が怖い(熊や虎)
寒い
奥地に入り過ぎてスタックしても誰も助けてくれない

デメリットがありすぎる。あくまでも、緊急手段として考えていたロシアキャンプ。

人は多分、命こそ奪わないが金目の物は奪うだろう。

動物は金目の物は奪わないが命は奪うだろう。

まだ人の方がマシだ、とバイクに跨りエンジンに火を入れる。

案の定泥にハマりスタック、立ちゴケ。何もかも泥まみれ。雨だし…

あー、夏の川越VMXの耐久レースと一緒じゃん。しかしあの時は90ccのモトクロス、今回は過積載250ccのエンデューロマシン。

荷物をほどく、どっちにしろ泥まみれだ!もう知らん!

アルミのパニアを外す。が、パニアを固定してる部分が転倒した際変形。なかなか外れないけどなんとか外れた。

バイクを起こす… 泥まみれで体も滑る。助けてドラえもん〜(泣)な状況。

こんな時に限ってガス満タンで重いんだよな…

なんとかバイクを起こす。良い子だ。こんな時、デカいベンベやアフリカツインじゃなくて本当に良かったなぁ〜と安堵する。

日夜ビッグオフに乗っておられる皆様、こんな時は一体どうしているのでしょうか?
って、日本でも林道ツーリングなんかは何人かで行くもんなんだっけ、と。
ベンベはRシリーズならエンジン張り出してるから起こしやすそうだと勝手に思ってみたり。

バイクを起こしパッキング。グチャドロ、土砂降り。怖い物はないです。

廃農道を進み、針葉樹林へ。暗くなってきて慌ててテントを張る。

寒いし泥だしやってらんねー!なんて思いながらガソリンストーブのプレヒートで暖まりながら、コーヒーを入れた。

就寝。コーヒー飲んで安心したのか、疲れが。熊でも人でもなんでも来い。刃物は一応枕元へ。

翌朝、生還。なんとか生きてた!が、寒い。天気、小雨。

コーヒーを飲み、泥まみれになったオーバーウェア着て出発。

また土砂降りになれば泥も落ちるかな?と都合よく考えてたら、雨は止んで曇り空。寒さだけが残る。

昼は12時を回る。気温4度。もう日本の冬なんていくらでもバイクに乗れそうな気がしてきた。

フラットダートが続く。長い。30kmはあったのではなかろうか。自分を抜いていった車達で詰まる。これじゃあしばらくはペースがあがらない。

しかし、ハバロフスク〜チタ区間でみたような真っ直ぐ走れない砂利ダートではなく、硬く引き締まった土ダート。荷物をドカドカ言わし、突き進む。

所々尖った石もあるから注意深く進む。こんなとこでパンクして直す事を考えたら憂鬱なんで、しばし安全運転。

やはり普段よりペースは上がらず立て続けにキャンプ。

キャンプしながら思うのは、下らない欲望。安全な日本のキャンプ場でキャンプして、みんなで美味しい物つくって、焚き火囲んで酒飲んで馬鹿話でもしたいなぁ、とか。

さいとうたかを著 「サバイバル」のサトル君も豊かだった頃の事考えてたもんね。
被災された方もそんな感じだったのかな、とか。
自分は好きで選んでこんな事やってるなんて、一体なんなんだろうか。

夜中に目が覚める。耳元でガサガサと音。人か?動物か?こんな真っ暗闇に人はあり得ないだろう、動物だ。

恐らく蛇。どちらにせよ関わりたくはない。
あぁ、リスかもしれないよ!リスであってくれ!



極寒野営風景。撤収途中。

翌日、目覚める。とにかく寒い… なんかないかとかじかんだ手でパニアを、あさる

あっ、味噌汁!



さらに



アルファ米でお茶漬け!

う、うまい。シベリアの森の中一人でうまいと叫ぶ。(これ、永谷園のCMに使えないか?)

サバイバルキャンプなんで、美味い物を作ろうとは思ってないが、それのが気分は盛り上がりそう。

温まったので撤収。出発。この日は晴れた。



ばれなきゃいいな、、、の図。



少しずつ、晴れてきた。

食べ物にも、自然にも、天気にも感謝。今までの当たり前など、当たり前ではない。

食いたい物も寝る時間も、最小限に。生き抜く為に。今日も一人闘おう。これは旅行ではなく、修行なのだ。

もう少し早く出れれば、フィンランドの1000湖でいいキャンプ出来たんだろうけどな。

1200kmを三日間でクラスノヤルスク着。次回へ続く、
UNCHAIN DAYS チタ〜??〜イルクーツク
なかなか更新が進みません。

忍者ブログのアプリが書きかけですぐ落ちるんだもの。

チタを離れる。いわゆる沈没とは違うが出発予定一ヶ月前に免停食らって
さらに一ヶ月出発遅らせて秋になってしまった僕。

幸運にも序盤からいい出会いがあって本当によかった。

トニャさんが、「私は別な所に用事があるんだけど、とにかく付いてらっしゃい」と。



シベリアはすっかり秋。

いわれるがまま、トニャさん一行のパジェロについて行く。

パジェロがまた速い。おそらくアフリカンツインやR1200GSだろうと、
地元民のプラドやパジェロなんかにゃ叶わないだろう。

ひーこら付いていく僕。ガスが持ちませんて、、、

んでガス欠。予備ガス持っていたから良かったが、これじゃ先が思いやられる。

現地時間11時、気温は二度(モッチーさん素敵なカラビナありがとう!)
キックスタートはホットスターターオフでもかかる。

先のカフェで待っていた彼らに伝える。

僕「このペースには着いていけないから先に行って下さいよ」
トニャ「そうはいかないわ。じゃあ、あなたが先に走ればいいのよ。私達は付いていくから」
僕「しかし…」

結局僕が前を走ることに。後ろからプレッシャーを感じる。

大体200kmぐらいの所で給油しながら、あとどれくらいかと尋ねる。

僕「まだまだ遠いのでしょうか」
ト「心配しないで、あと100kmぐらいよ。」

合わせて500kmか。なんか、距離感が麻痺してくるな。

日本だと東京〜大阪ぐらい?
毎日こんなのがこれから待ち受けるのかと良い思いをした後の僕は気が重くなった。



トニャさん一行

途中、「あなたはどうしても寄らなければならない所に連れていくわ」とトニャさん。



ハハトイという場所の日本人墓地。

満鉄社員、日本人拘留者を弔うためのモニュメント。

ここハハトイ村には、第52収容所ハハトイ(じーちゃんばーちゃん、その他人生の諸先輩方、間違って居たら訂正してください。)という場所がありました。

以下、遺骨収集に参加された方のサイトの抜粋

 6年前のロシアでの遺骨収集に参加した時、私は遺骨収集の現場の広い大地に手をつき、まだロシアに眠っていらっしゃる全ての日本人の方々に語りかけました。「必ずまた参ります。その時には、皆様のお体を祖国日本にお連れ致します。」と固く約束しました。
 ロシアでの遺骨収集には、特別な思い入れがありました。それは、ミャンマー遺骨収集派遣引渡式の時に、御遺族の方に「戦争の犠牲者は戦闘で亡くなった人ばかりではないんだよ。是非シベリア抑留の事も知って欲しい」と仰って下さった方がいたからです。すぐに図書館に行き勉強をしました。勉強を重ねれば重ねる程、深い悲しみで心が溢れました。酷寒の中での過酷な強制労働、栄養失調や衰弱により多くの方々が亡くなったと言う事実を知れば知るほど胸が痛み、涙が溢れました。もし私がその当時に行って沢山の暖かい食事や毛布を57万人の方々にお持ちする事が出来たら・・心から願いましたが、現実には出来ません。私に今出来る事は、ロシアに行って御遺骨をお迎させて頂く事なんだと強く思い、ロシア・沿海州での遺骨収集に参加ししました。そして18柱の御遺骨をお迎えする事が出来ました。
沿海州での遺骨収集は一生忘れられません。冷たい土の奥深くから、胸の上で両手を合わせて私の方に首を少し傾けて眠っていらっしゃった御遺骨をお迎え出来た時の事を、暗いお墓の奥深くに入り、御遺骨を地上にお上げする時に手が震えた事を、そして最終日に「また必ずロシアに参ります。」と英霊の皆様に約束した時の事を。
 この度、やっと約束を果たす機会を頂きました事をとても感謝しております。

〈シベリア抑留について〉
ここで、今回の遺骨収集のお話をする前に、遺烈を読まれている学生さんや中学生・高校生の皆さんにもシベリア抑留について知って欲しいと思っていますので、お話をしたいと思います。
今から60年以上前、日本はアメリカ、イギリス、中国、などと戦争をしました。そして開戦から3年8ヶ月後に日本は降伏しました。
降伏の数日前に、ソ連は日本とソ連の間で交わされた中立条約を破棄し、満州などに侵攻を開始しました。そして戦争は終わっているのに、ソ連は多くの日本人をソ連の国内に連れて行って抑留し、強制労働を強いたのです。
日本人抑留者達は、冬にはマイナス30~60にもなる酷寒の中で森林伐採や鉱山作業、鉄道建設などの大変辛い作業で酷使されました。そして多くの日本人が、食料欠乏での飢えや伝染病、衰弱、作業中での事故により亡くなりました。5万5千人もの方々が亡くなったのです。
その亡骸はきちんと葬られる事もなく、大きな穴を堀り、裸のまま次々に投げ積まれて行きました。70人近くの日本人の亡骸が同じ穴から発見された事もある程です。
そして未だ多くの日本人の方々の御遺骨がロシアの土の中に埋まっています。
 私達もはこれからもこの事実を若い世代の皆さんにも伝えて行かなければならないと思っています。

以上、抜粋

日本人が拘留されていた事はもちろん、アホ丸出しな僕も知っていたが、こんな事実は知らなくて、なんとも悲しくなる。

そんな彼らが居て、今の僕らの生活が当たり前で、ありふれていて、このアホタレはロシアをオートバイで走っていられるのです。

直接モニュメント製作に携わった方がたまたま近くに居合わせた。

彼の一言は忘れられない。

「あなた達には本当に申し訳ない事をしてしまった。国を代表して謝罪します。」

胸の中が熱くなった。固い握手をしてお別れ。

僕は特別右翼ではないのだが、異国を旅するという事は、その国の日本代表でもあるのだ。恥ずべく事をしてはならない。そう思うのだった。

そして、目的地へ到着…

どこだここ?山の中にほったてられヨボヨボのじいさんが歩き回っている

不安になる僕、トニャさんに話すと「心配しないで、ここは老人ホーム、あなたは今日ここに泊まるの」

!?

しきりにホスピタルホスピタルというから、混乱した僕は「俺病気じゃないよ!」とわけの分からない事を言い出す。

「大丈夫よ。心配しないで。彼らはあなたの面倒を見てくれるわ。」

大丈夫かいな…



慌ただしく進むので、全景写真とれず。ロシアの老人ホームの食堂。



お茶でも如何と言われて戴く。ロシアではお茶がご飯の意。おそらくロシアの老人ホームに泊まって、ご飯を戴いたのは僕が初めてではなかろうか。



室内。かなり清潔。ロシアはこの二つベッドスタイルが定番みたいだ。



子供たちはいつも僕にやさしい。



彼、アレクサンドラはとてもいい奴。近くの裏山に連れて行ってくれた。



裏山とはいえ、規模はかなりでかい。

そんな不思議な体験をして、やはり疲れたのかすぐ眠りに落ちる。

翌朝、これまたトニャさんの友人が迎えにきた。

「街を抜けるまでエスコートしよう」

老人ホームの皆にお別れ。慌ただしく準備(こればっか)



赤ジャージの彼女は少しだけ英語が話せる。

彼らはここでお別れ。ロシアの挨拶なのか?握手に始まり握手に終わる。お辞儀はないものね。

イルクーツクまで後約500km。暗くなる前にと先を急ぐ。

途中ウランウデという大きな街にぶつかるが、用事はなく、急ぎ足。

しばらく走るとバイカル湖が見えて来た!が、早く着きたいので通り過ぎた(勿体無いとか言わないの!)

しばらく走り、イルクーツクまであと50kmの表記!あと少し!

バイカル湖を抜けたあと、しばらく激しい峠にぶつかる。箱根は椿ラインを走った事がある方はご存知だろうが、あれに近い。某会社のN本氏のCBにちぎられた遠い日の僕のZZR1100。今のトラなら負けてなかったろうとかってに思ふ。

過積載で段ベリ三分山のオフタイヤだから楽しむ余裕なし!
ニーグリップとヒールグリップしたままリーンインで曲がる。

峠を越えたら街並みが見えてくる。明日はすぐに出発したかったのでガスを入れ、道路に戻るがおまわりさん、待ち兼ねていたのか止められる。

わし、なんもしてへんでー!
なんて思っていたらガソスタの入り口が一方通行!
んなもん!ここ私道ちゃうんか?

しかし、融通きかず。70を提示。

ん?700ルーブル(2100円程度)でええのん?と差し出す

すると、「ニェーーーーット!!!貴様は7000ルーブルだ!!!!!この無免許野郎!!(憶測)」

ひええ、いきなりキレる人間て、何処にでもいるのね!

しかし、7000ルーブルなんて!払えません!

僕「あんな、おまわりさん、わし5000ルーブルしかないねん、負けてやおまへんか?」
ポリ「ん?さよか、ほなこれでええわ。さあなら、イポンスキー」

ギギギ…やられた!3000にしときゃ良かった!

その後、無事に「地球の彷徨い方」で目ぼしをつけていたホテルへ。

しかし、値段が倍以上。なんでなん?と聞くと

「今、バイカル湖のシーズンやねん。うちが一番経済的やで。あははん」

ギギギ… またしても。お巡りと合わせて9000ルーブル…

まぁ、今までさんざいい思いしたし、この程度ならよしとしましょか。

次回、孤独なキャンプ イルクーツク〜クラスノヤルスク編へ続く。

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HN:
Minohara
性別:
男性
職業:
ワールドルンペン
趣味:
music & motorcycle
自己紹介:
このたびの災害により、被災または避難された皆様におかれましては、心からお見舞い申し上げます。

1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
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