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明日はどっちだ?
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UNCHAINDAYS デュッセルドルフな日々
フランクフルトからデュッセルドルフは、約200km。

真北に北上する事になり、途中ケルン大聖堂を通過する。

あいかわらず物価が高すぎる。途中コーラだけを飲み、珍しく晴れたドイツを駆け抜けた。



お昼ごろ、海藻選手に連絡をする。
僕「おうちはどこ?」
か「まだ決まってないねん」
僕「じゃあどうしてるの?」
か「今は友達の所。うまく行けば明日決まるかも〜」

おいおい!大丈夫なんか!

か「とりあえず、友達のおうちだけど今日はそこ泊まって。明日、その決まりかけの家に移動しよう」

ええんかいな…



デュッセルドルフのお城。

夕方、海藻選手が近くまで迎えに来てくれた。

そして、ケンジくんという海藻選手の兄貴分を紹介してもらう。

ケンジくんは、歳は一緒だが、なんとも兄貴って感じだ。ドイツ語もペラペラだし、何より落ち着いている。

そんなケンジくんの写真は後ほど。



ちなみにこれは遠くから迎えにきてくれた海藻選手。

腹へったでしょ?とケンジくん。



デュッセルドルフ中心の赤提灯街。
外国の夜だがドイツは別に危なくないらしい。



肉の塊。7ユーロ。食べ切れるかな…



あっ…



もう一杯ひっかける。寒い中外で飲むビールが美味かったのう。

その夜、ケンジくんと色々な話しをした。
将来の事や、国の事。ビールは合計で10本ちかく空いていた。

ドイツのビール、美味いんです。いくら飲んでも酔いません。

この日の翌日、海藻選手の多摩美の後輩達と、蚤の市へ出掛けた。







ドイツも自転車大国なので、こういった市でも自転車関係のものがすごく目立つ。



ギョギョ!秋葉原から抜け出して来たようなコスプレレイヤー(っていうの?)

この日デュッセルドルフは日本人祭りだそうだ。
実はデュッセルドルフにはかなり大規模な日本人街がある。
石を投げれば大体日本人にあたるって言われていたぐらいのね。

文化の誤解というか、日本人祭りでコスプレコンテストって、ちょっと変。まるで日本の文化がそれしかないみたいじゃない(いや、そうなのかもしれないけど。)





日本食材店。今思えばもっといろいろ買えば良かった。



ほかの学生達と合流してライン川へ。



なんか怪しい海藻選手。

ライン川へ向ったのには、


花火を見るためだったり。

花火なんて何年ぶりだろうか。

感慨深くなっていると「おい!花火どころじゃないぞ!」別な学生さんの一言。

UFOだった。いや、信じなくてもいい。これはこの日ここに居た人たちはみんな見ていた。
青く光る物体がジグザグに。消えた。

きっと花火を観に来たんだね。

また翌日。海藻選手の多摩美の後輩ちゃんが、デュッセルドルフについてとても詳しい友人に、バイク屋の在り処を聞いてくれていた。



デュッセル郊外ビルクに一件。聞いてみたらすんなりOK。3日預けて完了とのこと。

そして海藻選手の海外生活。バイク修理待ちに密着させて頂いた。

留学するにあたって、家は完全一人暮らしというよりは、シェアルーム。
これがメジャーで安いんだそうだ。

しかし、最近は不法就労やらの問題があり、審査が厳しい。
海藻選手は決まりかけのお家に、なんとか日割りで住まわせてもらっていた。(そこに居候させてもらって申し訳ない)



もう一人同居人、ミワちゃん。
ワーホリでドイツに住んでもう三ヶ月だそうだ。語学学校がデュッセルに移動したため、こっちに来たんだって。



海藻選手料理中。この日は、



トマト煮。写真にはないがオニオンスープを追加して、完成。



夕食後ケンジ君も来て、前の住人が置いていった人生ゲームをする。



僕は政治家になったんだが、最後の賭けで負けてしまい20億の負債を抱えた… てんでダメな政治家なのである。

日々の昼間は特に何処にも行かず、近所へ買い物に行ったり、洗濯したり。
夕方、ご飯を皆で作り、色んな話しをしながら食べる。

なんだが家族みたいだった。いや、家族だったね。



「住んじゃえ」

簡単に言ってくれるよ…



マシンもあがった。彼はパブロ。チリ人だ。ほかのスタッフ二人は職人気質でむすっとしていたが、僕の担当してくれたパブロは和やかだった。

「南米いけよ!楽しいぞ!」

ちなみに僕は今チリに居る。



日本人街だからほら、これ。

すみませんイマイチでした…
日本までラーメン食べない事にした。

ある日は、



火鍋。ここで対面するとは思わなんだ。



デュッセル女番長、モモちゃんプロデュース。
おたま片手にカッコつける海藻選手。



また別な日は大家さんにプレゼント大作戦を決行。みんなでわいわいラッピングしてたらビリっ…

結局渡さなかったが、彼らは正式にこの家の住人になれました。



最後の夜にはケンジ君が飲みに連れて行ってくれた。右のイケメンはキム君。イケメンだけど変態。高麗人参のお酒は寝起きが良くなりました。



「そろそろ行く時間でっせ」

約一週間経とうとしていた。
マシンも完璧だし。僕も長旅の疲れを癒す事ができた。

みんな「もっとゆっくりしてけばいいじゃん」なんて言ってくれたが、
そろそろ出発しないと。



湿っぽい別れは嫌だったから明るくお別れ。暮らした一週間、少なくとも家族だったよ。

僕は隣の国、オランダへバイクを走らせた。

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UNCHAIN DAYS ポーランド クラコウ〜ドイツ フランクフルト
平和な雪国。

クラコウを出て、ポーランドの平和な高速道路。

昨夜のあいつに会わなければもうちょっと満喫するつもりだったんだがな。

平和な平和な高速道路。急ぐ理由はないのだが、なんだか急ぎたくなった。

なぜなら雨。曇りや雨が多い国だと思っていたが、ドンピシャ。自殺ウェザー、金沢みたい。

そういえばヨーロッパからヨーロッパの国境ってどうなってんだろ?また犬とか呼んじゃう?尋問しちゃう?もう慣れっこだよ。こんな小汚い男捕まえてもなんもでないよ…

とか考えてたら、ドイツに。ドイツ語でドイチュランド、英語でジャーマニーだ。

ほほー、気付けば入るのか。ヨーロッパ人のちょいとお出掛けは国際旅行だな。
ヨーロピアンユニオンてことは、一つの国みたいなもん、海外旅行ってのは、日本やその他島国の観念だよな。

ほんでもってみんな言葉が違う。英語が共用語であっても文化も習慣も違う。すぐ隣なのにね。不思議。
しかし、アフリカだったらどうなるよ?あすこも近くても全然違うだろうね。それこそ民族だけじゃなく宗教間の対立だったり。

ポーランドの高速からいきなりアウトバーン。



フツーの高速道路なんだよね。

高速道路の始まりはドイツ。ヒトラーが東西南北を軍が自在に早く移動できるように、作らせた。

しかし当時の国民は車など持ってません。ヒトラーが言いました。

「お金を積み立てて、一家に一台自家用車を持たせようじゃないか!」

これがフォルクス(国民の)ワーゲン(車)の始まりでもある。彼はポルシェ博士に作らせようとした。

国民はおおおー!なんて期待をしたんでしょう。
しかし、戦争が始まる。この積みたてたお金は彼の政治資金と軍事資金に消えました。

ヒトラーはすごく賢い。彼はただの独裁者ではない。時代背景がそうさせたのか力の使い方を激しく間違えた。
芸術に関心もあり、何より彼はワーグナーを愛した。

これ以上書くとヒトラー好きに思われそうだからやめる。何度も言うが僕は「アドルフに告ぐ」のファンなだけ。

そんなアウトバーン、いまでも普通に稼働してます。
もちろんタダです(一部有料らしいですが)
ドイツの莫大な税金から成り立ってます。

走ってて思ったのが、交通マナーが非常にいい。
ヤレた250のエンデューロマシンが時速精々100kmぐらいを走るが、彼らは煽らずスムーズに抜いて追い越し車線から走行車線に。
おもわず「ほほー」なんて関心してしまう。

暫く走れば夕暮れ。土地勘の無さすぎる東ドイツの逸れでキャンプも考えていたが、うまく場所を探す自信も無かったので、アウトバーン沿いの簡易モーテル。

おじさんに泊まれるか尋ねたら、「イック、ビーン、なんとか」

あれ?ドイツはみんな英語話せるんじゃないのか?困った顔してるとOKOKというから着いて行く。ホモじゃねえよな…

ちゃんと泊まれた。15ユーロ。優しい価格だ。初のユーロ使用。ホモじゃねえよな…

ユーロが安い現在。なんもしらんと「やったぁ!ヨーロッパ旅行だ!」なんて喜んでる人は慎みましょう。これはとても危機です。

ユーロが安いのではなく、円が高いのです。つまり、日本の製品が高くなる、売れなくなるという事。これは困まずい。このまま続くと大変危険だ。
今まで日本の製品は安くて質が良かった。だから売れていた。あまり経済に詳しくない人間がこんな事書くと制裁食らわされそうだな。

そんな僕、「わーい安い♪」とよろこんでいた。いや、今も…じゃなきゃGBにこんなに長く居れません。

翌朝も雨。いわゆる全身が雨くさい。

自殺ウェザーのなかフランクフルトへ。父の友人の元にオートバイのパーツが届くフランクフルトへ。現在地ドレスデンより約50km西。あと400km程度。ヨシヨシ。



オートバイはかなり限界だった。スプロケットは尖りすぎてまるで手裏剣のようだった。チェーンの伸びシロも無い。リアのブレーキパッドは とおに無くなり、ただの鉄板になってまだ新しいリアのディスクを虐めていた。フロントフォークの左は、オイルが抜け切っていた。

現時点で走行距離約12000キロ。仕方が無い。走り続けて丸1ヶ月半だった。

なんとかもってくれと祈りながら進む。ドイツに入り初の給油。1.5ユーロ。な、たかっ!なんて思っていた。通りで。オクタン価は95から。日本だとハイオクか?ペースを落として進む。

空が青く変わる頃にフランクフルトへ着く。が、網目状の道路。ホステルを予約していたがなかなかたどり着かず。土地勘の無い街で一番確実なのは方位磁石。Googlemapには度々裏切られるから、仕方なくこれ。過去にダウンロードした地図と照らし合わせる。
大都市は一方通行だらけなので、最終的には押す。これが一番近道。すぐに到着した。

オートバイを停めて荷物を片付ける。大都市は物価が高いから修理が終われば直ぐに出て行くつもりだった。

翌日。父の古い友人、小園さんを尋ねた。フランクフルトの隣町。ここには日本の企業が集中しているらしい。


色々と興味深いドイツでのお話を聞かせて頂き、お昼までご馳走になってしまった。大変感謝感激であった。

「天気悪いでしょ?これね、このまま雪に変わるよ。早く南欧までいけるといいね。」

現在地ロンドンより寒かった。なんてこった。こりゃロマンチック街道なんて言ってる場合じゃなさそうだな。

修理をしてくれそうなオートバイショップを探す。
土地勘もないし、インターネットで調べた所で簡単に見つかるものではないと、闇雲に走ってみた。



途中ベスパ屋があったので寄る。友人にもベスパファンが多いからみんな喜ぶと思ったからだ。

「君は何人?どっから来たんだい?」と丁寧に聞かれ

日本人でバイクでロシア渡って来たと話すと大喜び。ついでだから聞いたれ。

「あなた達の友人でホンダのオートバイ扱ってるお店知りません?もうクタクタなんですよ色々と。」

しばらく彼らはドイツ語で会議。

「生憎俺たちの友人達には居ない。しかしなサムライどの、調べてやることは出来るぜ!」

感激!ありがとう!
しばし彼等がネットサーフィンをしてくれた。すぐに見つけてくれて地図を渡してくれる。

「ここなら間違いない!また寄れよ!」


向かうとホンダのディーラー。いや、間違いはないけど…やな予感がした。

掛け合って聞いてみた。
「ウチは古い改造車の修理は請け負わない。」

ははっ、やはり。パーツのスペアはあると話す。

「だとしても二週間待ちだ!もう分かったろ!俺は忙しいんだ!」

ドイツ人がせっかちで喧嘩っ早いのは知っていた。これは国民性なんだろうな。

暫く彷徨うがほかのバイク屋は見つからず。明日にしよう。それがいい。だめな時は深追いしたって仕方が無い。

翌日、あまりに寒く体調を崩す。寒いといってもロシアほどじゃあない。だけど身体は正直だ。昨日から寒い寒いと思っていたが、こりゃ風邪だったんだな。仮にショップが見付かった所で、直ぐに修理にとりかかって貰えるとは限らない。思い切って休む事にした。



フランクフルトで会った方々。右のおばちゃまにスコッチご馳走になった。



日本からの学生さん達。レイ君と吉永さん。

その夜、高校の同級生の海藻選手から連絡が返ってきた。
彼はこの秋からデュッセルドルフに留学し始めるとの話を聞いていた。

「旅人よ、待っている」

僕はフランクフルトを後にした。
UNCHAIN DAYS ウクライナ キエフ 〜 ポーランド クラコウ
現在、予定をしなかったがグレートブリテンにて。


進むスピードが日記に勝てない。
当たり前じゃないか。日記というのは過去を書いているのだから。

後ろ髪引かれる思いでウクライナを後にした。

ユーラシア大陸も3分の2…ロシアはでかかったなぁ。

一本道。ワルシャワまで700キロ。なんだ、一日でいけるじゃないか。(距離感はかなり麻痺してる。)

が、しかし、



道できてへんやん…

さらに









………

林道ツーリングに誘われた。

ほんでまた転ぶ。この日やたら暖かかったから汗だく。

回り道を間違えたのだった。

急いで引き返すと夕暮れ。キャンプかぁ…
いや、嫌じゃない(現在ヨーロッパでは野宿ばっか)だけどウクライナ21みたいな連続殺人にあうのはゴメンだからな、と。

国境近くの街にモーテルをみっけた。
値段も安くて綺麗。なによりWi-Fiも使えたしね。

出来事をノートに書いたり、ロシアの友人達に連絡をしていると、



ウクライナン酔っ払いに絡まれた。

ウ「どっから来たんだ?日本だと?すげー!」
ウ「俺たちは千島列島についてはあまり考えてないぜ!」

その後は全部ウクライナ語。写真真ん中のユーリはウォドカを一瓶あけてきたもんだからグデングデン…

楽しかったが、会話が進まないから眠ることにした。

翌朝、この日も暖かく、バイク日和だ。まってろヨーロッパ。

意外に泊まった街が近くだったから、直ぐに国境。

しかし、またもや問題…

警備「なんだおまえ、ウクラインスキーじゃないや?カザフスキーか?モンゴリアンか?ルースキー(ロシア人)だな?」
僕「ニエット。俺はイポンスキーだ。」

ざわざわと人だかり…迷彩服の警備に囲まれる…

警「一体どうやってきた?まってろ、犬つれてくるわ」

えー??

わし、なんももってへんでー!

案の定、犬は問題なし。しかし、別室に呼ばれ尋問。

警「バイクはどうした?ロシアで買ったか?」
僕「いや、日本から持ち込んだよ。あと、英語できるやつ頼むわ。わし、ロシア語あんま得意やないねん」

ざわざわと会議…

警「よっしゃほんないけや!お前みたいな面倒なやつと関たないねん!」

こっちこそ!お前らみたいな面倒な奴はお断りだ!

3時間かけて出国さよウクライナ。

ポーランド側。

「おっ、日本人はこのゲート初めてやな!ほなきいつけてな!」

はえー… わずか2分。

こんにちワルシャワ!





きたぜユーロ!まってろポルトガル!

道が格段にいい。もうヨーロッパかぁ。大陸もあと3分の1なんだなぁ。

ほんでもってワルシャワ。予約していたホステルに着いたものの、

「予約?ないよ。そんで今日は一杯だよ」
そんな馬鹿な!ほら!予約表!前金も払ってるじゃん!

「あーれー?でも今日は一杯だよ。近くもあるし、聞いてみたら?」

なんだこいつ、最低だな…

今後暫くヨーロッパでは此の様な被害に合う。

3件目にてようやく、レセプションを叩き起こしチェックイン。すまんね…

今度はちゃんと予約をしてワルシャワを出発。

ウクライナで会ったラーデクがいるクラコウへ。

順調に進む。が、途中ガス欠をぶっこく。
リザーブにしたらほら、エンジンかか…らない。
試しにタンクを覗くとあら?空っぽ…

えぇー?なんで?とガソリンコックを確認したらリザーブになったまんま。
あちゃー…

ポーランドに入ってガソリンが一気に値上がりしたため、ギリギリまで給油をしなかった。

さて、異国の高速道路。こんな時どうする?僕はというと

押してみた。フル装備のエンデューロレーサーを。

まだ10月半ば。暖かいとは言えないが一時間近く押す。そしてスタンドは閉まっていた。

いい加減疲れてへたり込むとある事に気付いた。

予備に1Lあったじゃん!MSRのタンクに。すぐさま入れてキック。かかった!

ロシア抜けて完全腑抜けていた。これじゃ先がおもいやられる。

走ったら直ぐにスタンド!ホッとした。夜は9時を回ったので宿探し。
ポーランドはモーテルが多い。そしておまけに安いのである。

英語もロシア語も通じないおばちゃん一人のモーテル。一泊日本円で2000円程度。助かった…

翌日、クラコウまであと100kmちょい。雨が降り続ける中今度こそホステルに泊まれた。

ホステルのタトゥーだらけの兄ちゃんに携帯電話を借りて、ラーデクに電話。あらかじめ滞在先を送っていたため、すぐに来るそうだ。

会った瞬間奴の一言

「アーサダチィィィイィイィ!!」

…誰だこんな言葉教えたの…



何故ここに来たのかと言えば国際報道写真展があったから。



いきなりソマリアの鼻の無い少女が目に留まり、重い。

ラーデクがクラコウを案内してくれると。








僕「ラーデクよ、コマネチ知っとる?」
ラ「ナディア•コマネチか?ありゃ綺麗な選手だったなぁ。」
僕「日本じゃ笑いで有名なんだよ。」
ラ「…クレイジージャパニーズピープル…」

やらせてみた。





彼が言うコマネチは「コーマネチィー?」とやや疑問系なのが笑える。

ひとしきり観光してもらい、お別れ。日本に来たら連絡くれや!なんて話して居たが、またイングランドで再会した。

この夜はやたら腋臭の変なドイツ人に捕まる。
眠いから途中ほったらかす。こいつはかなり夜型らしく、早朝に大声で話したりするから軽く頭にきた。

翌日アウシュヴィッツへ。
アウシュヴィッツへ来るためにポーランドへ来たのは大いにある。
なんせ僕は「アドルフに告ぐ」のファンだからさ。








観光客や学生だらけで、とてもじゃないが楽しめなかった。

この夜も変なドイツ人に捕まる。

ド「ウォドカあるだろ?」
僕「なんで俺がもってるとわかる?」
ド「…」

彼は英語が全然だめなのだ。

見てみたらロシアで買ったウォドカ、無くなってる。こいつ、人の鞄あけたな?他には何か取られてないかをみたが、大丈夫だった。


首をトントン。これはロシア〜ポーランドの酒を飲んだ仕草。

てめえ!極寒キャンプで暖まるための命がけのウォドカ全部飲みやがったな!

久々頭に血が上った。てめえ!表に出ろ!と日本語で怒鳴りつける。
そいつは何をしたか分かっていなかったのか、ひたすら半笑いで謝り続けたが、許せなかった。

あれはライフラインだったのだ。あの最悪でも最高に生きた心地のしたあのキャンプの、その証をこいつは!

一発殴った所で腹の虫は収まらないのは分かって居たからほっといて外に出てチルアウトした。

なんだかただ疲れただけの日になってしまい、直ぐに休んだ。

翌朝、夜型のこいつ、またなんか喚いて起こされたのであと一日宿をとっていたが、もうドイツへ向かう事にした。

なんだか猛烈にロシアが恋しくなったヨーロッパ一ヶ国目。

UNCHAIN DAYS チョルノーヴィリ
更新が滞っておりました。申し訳ございません。

現在、ドイツはデュッセルドルフにてオートバイの修理待ちです。

3/11日、午後2時46分。あの日皆さんはどうされてましたか?
僕は働いていて、高い所に居ました。今でも忘れられません。

その次の日、福島ではさらにとんでもない事が起きましたね。
TVでは超望遠カメラで30km圏外から撮影された爆発の映像が何度も再生されてました。当初は認めなかった炉心融解も、今や政府は認めざる追えなくなりましたね。


遡る事1986年4月26日。旧ソビエト連邦チェルノブイリ原子力発電所四号炉では炉心融解なるとんでもない事故が起きました。


今回の旅では、僕は此処を訪れて、自分のできる限りで状況を伝えなければならない。これからの日本と照らし合わす意味でも。そんな思いでやってきた。

キエフ二日目、ウクライナ在日本大使館を尋ねた。

僕「現場はどうなってますでしょうか?」
担当者「現在、石棺をさらに覆う作業をフランスの原子力関係の会社が作業しております。それに伴い、観光ツアーは中止しております。あと、何故か最近は汚染のレベルがさらに高い数値を出して危険な状況です。」
僕「その作業をしている作業員の方々とは…」
担「…恐らく所在のわからないような…」
僕「住んでいる方が居ると聞いたのですが」
担「ええ。やはり村を捨てきれなかった方々が少数ですが生活をしております。それと、不法に入ってきた人々が…」
僕「制限エリアの侵入はそんなに簡単ではないと思うのですが…」
担「ええ、今や国家レベルの訪問じゃなければ、簡単に入れません。しかし、範囲が広大(半径30km、ベラルーシ側も含めて)なため、一部制限ラインが老朽化していて、不法に入る方々までは把握しきれてないのだと…」
僕「その人達の目的は?」
担「大半が密猟です。あの中は絶滅危惧種、その他野生動物の宝庫でもありますから」
僕「中で生活されている方の物資供給はどうされているのでしょうか」
担「…それについてはわかりかねます」

なるほどなるほど。予想通り入る事は難しいな。それなら、ライン上を廻ってみよう。

僕「何か僕にできる事はありますか?」
担「いや、ここまで来てくださっただけでも充分ですよ。最近は日本人の方がこうしてやって来てくれる事が多くて、嬉しいですね。ウクライナの大統領も、福島の事は大変気にかけてくれています。先輩…じゃないけど同じような負の遺産を背負った同士、助け合おうといつも励まされてます」

そうだよなぁ。

ソビエトから独立して、ウクライナにはこれをなんとかする義務がある。


人が住めるようになるには、あと600年かかるそうだ。

日本は、どうだ?何かできる事は、ないだろうか。

おい政府、保安院、枝野。正しい事を教えてくれないか。黙っているだけじゃ、わからないだろ。この先の事。

チョルノーブィリへ。(ウクライナ語表記だとチョルノーブィリ)



キエフから約100km。東京なら御殿場、高崎、日立ぐらいか?



近づいてきた。青看板の右側、チョルノーブィリと書いている。



木の大きさがどうにも不自然なんだよな。



小さめだが30km圏内へのゲートが見えて来た。警官が一人出て来たが、くわえタバコで去って行った。























別なエリアへ移動してみた





人が暮らせる場所と暮らせない場所の線引きなら、とても曖昧な気がする。

こうして自分のカメラとiPhoneで撮影をしていると、一組の親子に声をかけられた。

「お祈りをするから一緒にいらっしゃい」

墓地へ連れていかれる。親子連れだから、大丈夫だろ。

「中へ入れてあげるから、タバコと少しお金を頂戴」

… わからないフリをした。賄賂用免税マルボロだけわたす。

そしたらこのおばちゃん、墓で声をあげてわんわん泣き出したじゃないか。

「この人は、事故が原因で死んだの。まだ22歳だったのよ」
「この人は私のママ。事故の直後、
亡くなってしまったわ」

「火あるかしら?」

!?

泣きながら墓に抱きつきながら、タバコを吸い始める。

しばらくわんわん泣いている。タバコをを投げ捨てまた新しいのに火をつけてまたわんわん泣いている。

…うーむ。演技してんのか?

と思ったら泣き止んで、「じゃあ、中に入るよ!」って元気良く。

「ダバイ、ダバイ!(ok!」てな感じ。

一応お金を少し渡す。おばちゃんは受け取らず、「子供にあげて」と。

有刺鉄線沿いに進むと、あらら、一部脆くなって外れてるではないか。
そりゃそうだ。25年も経っていた。こうならない方がおかしい。

※この辺はあまりiPhoneで撮影してないのでまた後日。

中へ入ると、



すぐに森林。彼等はキノコを取り始める。

「私達は毎日ここでこうして取って食べている。けれど、祈っているから大丈夫なの。(祈る仕種)子供も元気でしょ?だから大丈夫なのよ」

ほんまかいな…

少しするとヘリの音。

近い、近づいてくる。彼等はまだキノコを取っている。

さすがに低空飛行でピンポイントで近くを飛ぶと、隠れだした。

「ニェ、フロブーラム(おそらく問題ない」とひたすら言っていた。祈る仕種を始めた。こればっかりは勘弁…

見つかったら僕は不法侵入→逮捕=強制送還か。勘弁しておくれ。

しばらくじっとしていたら、ヘリは去った。僕らも早めに抜け出した。

おばちゃん達は僕にキノコを渡してくれた。気持ちだけで結構だったんだが、断っても断ってもポケットに…

キノコを計測。



うーむ…

出直す事にした。キエフのみんなが帰りを待ってる。



恐らく、電気はもう流れないだろう。

翌日。ウクライナ側を隈なく廻ってみる事にした。



メインゲート付近。
道が不気味なぐらい良い。













付近を撮影している最中、大きな真っ白なメルセデス製のバンが五台ぐらい連なってやってきた。

撮影しようとカメラを構える、、、

「ニェ、フォトグラフィエー!(撮るなー!」

警官が五人ぐらい走って追っかけてくるではないか!

あわててバイクに跨りノーヘルで逃げる。

逮捕されても始まらないからな。というか終わりだ。





大分、傷んでるな…





一体何処まで続くのだろうか。





気付けばフェンスもなくなる。



またもや深い森。



プリピャチ川。冷却水路、原子力発電所へ通じていく。

以下資料



作業員達が住んでいたプリピャチ村のモニュメント。川の名前が由来。



プリピャチ村の観覧車。二度と人を乗せる事はなかった。



放置された軍の車両。今回はお目にかかれなかった。恐らく中心には沢山あるだろう。



事故直後。作業員達が駆り出される。多分彼等は帰らなかった。

再び、僕の写真。







この辺りはやたら高濃度だった。
















この有刺鉄線っが早く取っ払われる日を願う。心より、願うよ。

これらはブログ用にiPhoneで撮影している写真ですが、無断使用はご遠慮下さい。必ず、unchain15@gmail.comへご連絡下さいますよう、よろしくお願いします。

次回から、普通の旅日記へ戻りますね。
UNCHAIN DAYS モスクワ〜ウクライナ キエフ


身体も心も疲弊していた中、きっと先に行けばまた何か見つかるだろうとオートバイに跨った。

ロシア〜のルートはたくさん候補があったのだが、今日本人としてみておかねばならぬ国、ウクライナへ向かう候補以外は見つからない。

チェルノブイリへ。

幹線道路はやはりモスクワ。なかなか進まない。もう勘弁してくれと気持ちばかりが焦る。

いかん、気を強くもてよとオートバイは降りず、先へ進む。
ようやっと道路が流れてきた、が、あたりは薄暗く。あぁ、国境ゲートには間に合わないだろう、またも街道沿いのモーテルにて眠る。

翌朝、雨足がとても強かったから少し様子を見ながら遅めに出発。

雨は小雨に変わり、ロシア国旗の色をしたゲートとウクライナナンバーの車が増えてきた。

※ゲート付近は撮影禁止

ゲートに着くやいなや、何やら不愉快そうな係員が居る。

係「なんだ貴様、どっから来た?」
僕「イポーニ。これが証書とパスポートだ。」
係「あぁん、、、?どうやって走って来た?他に書類を出せよ」
僕「他って?税関の書類は揃ってるだろ?ロシアはカルネ加盟国でも無いじゃ無いか。」
係「カルネも出せ」

しぶしぶ出す。

係「お前、カルネも無しにどうやって通関した?みろよ、他のドライバーはみんな持ってるじゃないか。ちょっと来い。別室で取り調べだ」

うわ、なんかめんどくせえ!おれなんもしてねえし!

別室。偉い人が一人。
係「みてくださいよ、こいつ、こんな書類でやってきたんですよ?」
偉「んん?あ、ちょっとまて、電話や。」

しばらく電話。…長い。そんでめちゃめちゃ怒って怒鳴って、最後は受話器を投げつけおった!ひいい…

偉「(イライラしながら)で、なんだ!?」
係「いや、こいつ…」
偉「馬鹿野郎!ちゃんと書類は揃ってるだろ!そんな事もわからないのか?俺は忙しいんだ!さっさと出てけこのクズ野郎が!(臆測」

ちーん…

係員と目を合わせてやれやれみたいな感じ。

係「ほんじゃ、税関の書類をもっかい書いて。書いたらこっち回して。んでパスポートコントロールいってけろ」

ここまで所要時間45分。うち、税関の将軍様の電話30分。

書類を書いたら係員が「ハルキマラカミ知ってる?俺ファンなんだ。ついでに日本語でハルキマラカミって書いてよ」

…(笑)

あばよロシア!さよおならプーチン!

国境越えてウクライナ側。

係「証書とパスポート。あと日本の保険証。あ、うんいいよ。バイバイ。」

わずか三分。こんにちウクライナ!

最後のゲートでまたパスポートを見せた時「コンニチハ」と言われる。

なんか良い事あんじゃね!イャッフゥゥー!

ウクライナに入ると舗装が格段に良くなり、大変気持ち良く走れた。

キエフまであと250km…あ!両替してない!ガソリンは予備タンク合わせて10リットル…ギリギリだな…

途中、欧州ブランドのスタンド発見。旅始まって以来のカードを使用。多分、スキミングは大丈夫だらう。



車入国の証



良い旅を暗示してる夕焼け

暗くなってもキエフまでは一本道だから迷わず行けた。

ロシア語表記のキエフからウクライナ語表記のキエフに変わってる!

イースタンユースの「街はふるさと」が頭ん中でリフレインした。

キエフに到着。予約していたホステルにはすぐ入れた。

んだが、ホステルの入り口がややこしくて彷徨ってると、一人の男がこっちだよー、なんて助けてくれた。

男「どっから来たんだい?」
僕「日本。ロシアをバイクで渡って来たよ。」
男「アメイジング!ユーブレイブマン!おれはそこで働いてる!困った事があったらなんでも言ってくれ!」

やっぱ、この国好きだ!

ホステルに着くや否や、管理人のマリーナがお出迎え。

マリーナ「遅かったじゃない!心配したのよ?」
僕「すんません、出国に手間取ったんす」
マ「な、あんたバイク!?あー汚い!洗濯するもの全部出して頂戴!あとさっさとシャワー浴びて!」

ひいい…

綺麗になった所で「コーヒー?チャイ?」とマリーナ。

砂糖の入ってない紅茶を飲みながら早速あの話題だ。

マ「あんたんとこ、福島、どうなんよ?」
僕「ああ、良くない。むしろ最悪だ。あなたの方こそ、チェルノブイリは?」

この辺はたまたま近くにいたモスクワから来ていたクリスティーナが通訳に

マ「私はノボシビルスクに住んでいたロシア人なのよ。あれだけ遠くても最低よ!政府は何も言わないし、ただ家から出るな、ってだけ!やんなっちゃう!今でもたまに皮膚が赤くなるのよ!」
僕「日本の政府も、メルトダウンを認めなかったんですよ、最初は」
マ「上の連中はどいつもこいつも最低よ!あーだこーだなんたらかんたら」

※この辺はクリスティーナでも訳せなかった

チェルノブイリから約100km、ウクライナの首都はキエフ。

どうでもいいがマリーナは大阪のおばちゃん的で外見は野村幸代なのだ…

クリスティーナも原発あれこれ聞いてきた。やはり心配だそうだ。

その後夜遊び帰りのポーランド人、ラーデクがやってきた。

軽く挨拶をして、僕はとても疲れていたのもあって、先に眠る事に。

翌朝、僕は日本大使館へ。チェルノブイリ近辺の話を聞きに出向いた。

この辺の話はチェルノブイリ編で書く事にしよう。

その後、チェルノブイリミュージアムへ行く。途中、いわゆる金拾い詐欺の奴が声をかけてきた。

男「おれ、ベラルーシ人。金拾った。山分けしない?」
僕「あー君たちの手口は知ってるよ。仲間はどこ?それとも警察もグルかいな?」
男「…hfぎじgっfjふぇrひjふぃおkvっfほんっっgじ!!!!(ロシア語かなんかで激怒」

うわー、余計な事言ってしもた。走って逃げる。

ロシアに一ヶ月いたのに、こんな事は無かった。ちょっと残念だな。皆さんは、余計な事言わずに無視しましょうね。

チェルノブイリミュージアム。







資料にと何枚かデジカメとiPhoneで撮っていたら20グリブナ請求された。しこたま観たし気持ちも萎えたから後にした。

ホステルに戻るとフランスから来たグレゴリーが居た。今朝電車でやって来たとのこと。クリスティーナはフィルムカメラで撮影したネガをみてくれと。



左からグレゴリー、マリーナ、クリスティーナ

クリスティーナが「バーグに行かない?」と。

バーグ?なんやそれ
ク「ドリンク、ドリンキン!」
あぁ、バーか。バーグが正しいのか?
グレゴリーも行こうぜと誘う。

入れ違いにラーデク。今日は用事があるんだと。まぁ遊びだろう。



ウクライナのバー。

値段に驚いた。ビール一杯110円。ウクライナ万歳!

久々に酒を呑んだので、すぐに酔っ払う。周りの人たちとも、沢山話した。

もちろん僕はウクライナ、ロシア語はおろか、英語も適当なんだがな。



バーにて。

翌朝、チェルノブイリへ。この辺の話はチェルノブイリ編で。

この日はウクライナのTVが平和の使者として取材したいと言っていたんだが、待てど暮らせど来ないから、先に出発した。

夜はクリスティーナがサンクトペテルブルクへ、グレゴリーがモスクワに、同じ列車で行ってしまうから近くの駅まで見送りに。気の合う良い奴らだったから寂しいのう。



グレゴリーのカメラのフラッシュで真っ白だがはしゃぐクリスティーナ。この後立ちゴケ。本人は「思い出よ」と言っていたが、痛そうだった(笑)



電車旅行もいいなぁ。

ホステルに戻ると珍しくラーデクが。

ラ「ようよう、お前さん、サルサを知ってるかい?」
僕「ん?ダンスか?出来ないよ(笑)」
ラ「いいから行こうぜ!面白いしすぐ覚えるよ!」



いわゆるダンパ。僕は無理でした。難しい、、、



かっこつけるラーデク。彼も話すとかなり面白い奴だった。ロシア語も英語も堪能。インテリ設計者。

僕は朝から動きたかったので、先に帰る。彼はまた別なクラブに行くんだとか。

翌朝、例の如く撮影に。帰りは遅くなった。

帰るとラーデクが居た。遊びすぎて頭が痛いだとか。バファリンやると元気になってた。

別な部屋にいるオーストラリア人家族のおばちゃまが話好き過ぎて面倒くさいんだとか。彼の知る数少ない日本語で「TSUKARETA(疲れた」だって(笑)



元気になって子供たちとはしゃぐラーデク。

ラ「旅で困った事はなかったか?」
僕「当然、おれは英語もこんなだしロシア語なんかわからねえから、ロシア人おばちゃんに怒鳴られまくりだったよ。カフェでコーヒーか紅茶かなんて聞かれる時「チャーイ!?コーフェ!?」と怒鳴られたり、ガソリンスタンドでは「スコーリカ!!!(どれくらい!?)と怒鳴られたり、ガスチーニツアでは「ニエート!!」と怒鳴られまくり。ババア恐怖症だよ」

ラーデクは腹よじって笑って頭ぶつけてた。

ラ「俺もロシア語出来ない時、列車のチケット買う時に「ニエート!!」ってよく怒鳴られたぜ!」

その時、例のオーストラリアおばちゃまが孫にマジギレをしていた。

ラーデクは僕のiPhoneでバッドワードを書きだしてそれを見て2人で大爆笑していた。涙が出るほど笑ったのは何年ぶりだろうか。

もう一人、ニトロペテロブルグから来ていたアンドレイがその騒ぎを聞きつけ、リビングにやって来た。さっきの僕の話をラーデクがロシア語で話すとアンドレイも大爆笑。釣られて僕らも大爆笑した。

そっからは辞書で互いの国の馬鹿な言葉を検索して「異文バ化交流」をして楽しんだ

ラーデクは日本語のそんな言葉が気に入ったらしく、一生懸命ノートに書いていた。

こんな騒ぎは深夜まで続く。

翌朝、ラーデクはポーランドへ。クラクウに居るというから再会を約束した。気の合う良い奴だった。

僕は、荷作りを夜に出発して朝にはワルシャワに着くつもりだった。

そこに、マリーナの娘エリーナが。

エ「YouTubeで馬鹿画像みない?」

どうやら、ラーデクが僕のアホ加減を説明していたようだ。もう一日撮影に行くつもりだったが天気が悪く悩んでいた所だった。



エリーナ。ノーメイクだから撮るなと言っていたが撮っちゃった。

ウクライナのタレント発掘番組を見せてもらう。言葉は分からないが充分面白かった。お礼にレミ•ガイヤールとジャッカスを教えた。とても喜んでいた。

彼女の娘のマリンカ、彼女の一家の写真を沢山見せてもらう。人の家族写真て、なんでこんなに面白いんだろうか(笑)

その後、ロシア語講座。というか彼女はロシア語とウクライナ語しか分からないんだが、すこしの英語を話してくれるので簡単な会話が出来るぐらいには上達したと思う。

エ「ベラルーシに行くの?危ないよ…」
僕「やはり撮らなきゃならんしね。旅が終わってから行くつもり」
エ「その時はキエフに帰っておいで。そんで私達が隈なく案内するから。あんた、チェルノブイリしか行って無いでしょ?」

見抜かれてた。もちろん、キエフには寄るよ。ハラショー、スパシーバ。

なんだかんだでこの日は出発出来ず、もう一泊した。ずーっと動いていたから、疲れていたのは事実。

翌朝



アンドレイ「おれものりたい!」だ、そうなので、撮影。彼も、面白い男だった。

僕はワルシャワへ出発した。
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このたびの災害により、被災または避難された皆様におかれましては、心からお見舞い申し上げます。

1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
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