明日はどっちだ?
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UNCHAIN DAYS ポーランド クラコウ〜ドイツ フランクフルト
2011.11.27 Sunday
平和な雪国。
クラコウを出て、ポーランドの平和な高速道路。
昨夜のあいつに会わなければもうちょっと満喫するつもりだったんだがな。
平和な平和な高速道路。急ぐ理由はないのだが、なんだか急ぎたくなった。
なぜなら雨。曇りや雨が多い国だと思っていたが、ドンピシャ。自殺ウェザー、金沢みたい。
そういえばヨーロッパからヨーロッパの国境ってどうなってんだろ?また犬とか呼んじゃう?尋問しちゃう?もう慣れっこだよ。こんな小汚い男捕まえてもなんもでないよ…
とか考えてたら、ドイツに。ドイツ語でドイチュランド、英語でジャーマニーだ。
ほほー、気付けば入るのか。ヨーロッパ人のちょいとお出掛けは国際旅行だな。
ヨーロピアンユニオンてことは、一つの国みたいなもん、海外旅行ってのは、日本やその他島国の観念だよな。
ほんでもってみんな言葉が違う。英語が共用語であっても文化も習慣も違う。すぐ隣なのにね。不思議。
しかし、アフリカだったらどうなるよ?あすこも近くても全然違うだろうね。それこそ民族だけじゃなく宗教間の対立だったり。
ポーランドの高速からいきなりアウトバーン。
フツーの高速道路なんだよね。
高速道路の始まりはドイツ。ヒトラーが東西南北を軍が自在に早く移動できるように、作らせた。
しかし当時の国民は車など持ってません。ヒトラーが言いました。
「お金を積み立てて、一家に一台自家用車を持たせようじゃないか!」
これがフォルクス(国民の)ワーゲン(車)の始まりでもある。彼はポルシェ博士に作らせようとした。
国民はおおおー!なんて期待をしたんでしょう。
しかし、戦争が始まる。この積みたてたお金は彼の政治資金と軍事資金に消えました。
ヒトラーはすごく賢い。彼はただの独裁者ではない。時代背景がそうさせたのか力の使い方を激しく間違えた。
芸術に関心もあり、何より彼はワーグナーを愛した。
これ以上書くとヒトラー好きに思われそうだからやめる。何度も言うが僕は「アドルフに告ぐ」のファンなだけ。
そんなアウトバーン、いまでも普通に稼働してます。
もちろんタダです(一部有料らしいですが)
ドイツの莫大な税金から成り立ってます。
走ってて思ったのが、交通マナーが非常にいい。
ヤレた250のエンデューロマシンが時速精々100kmぐらいを走るが、彼らは煽らずスムーズに抜いて追い越し車線から走行車線に。
おもわず「ほほー」なんて関心してしまう。
暫く走れば夕暮れ。土地勘の無さすぎる東ドイツの逸れでキャンプも考えていたが、うまく場所を探す自信も無かったので、アウトバーン沿いの簡易モーテル。
おじさんに泊まれるか尋ねたら、「イック、ビーン、なんとか」
あれ?ドイツはみんな英語話せるんじゃないのか?困った顔してるとOKOKというから着いて行く。ホモじゃねえよな…
ちゃんと泊まれた。15ユーロ。優しい価格だ。初のユーロ使用。ホモじゃねえよな…
ユーロが安い現在。なんもしらんと「やったぁ!ヨーロッパ旅行だ!」なんて喜んでる人は慎みましょう。これはとても危機です。
ユーロが安いのではなく、円が高いのです。つまり、日本の製品が高くなる、売れなくなるという事。これは困まずい。このまま続くと大変危険だ。
今まで日本の製品は安くて質が良かった。だから売れていた。あまり経済に詳しくない人間がこんな事書くと制裁食らわされそうだな。
そんな僕、「わーい安い♪」とよろこんでいた。いや、今も…じゃなきゃGBにこんなに長く居れません。
翌朝も雨。いわゆる全身が雨くさい。
自殺ウェザーのなかフランクフルトへ。父の友人の元にオートバイのパーツが届くフランクフルトへ。現在地ドレスデンより約50km西。あと400km程度。ヨシヨシ。
オートバイはかなり限界だった。スプロケットは尖りすぎてまるで手裏剣のようだった。チェーンの伸びシロも無い。リアのブレーキパッドは とおに無くなり、ただの鉄板になってまだ新しいリアのディスクを虐めていた。フロントフォークの左は、オイルが抜け切っていた。
現時点で走行距離約12000キロ。仕方が無い。走り続けて丸1ヶ月半だった。
なんとかもってくれと祈りながら進む。ドイツに入り初の給油。1.5ユーロ。な、たかっ!なんて思っていた。通りで。オクタン価は95から。日本だとハイオクか?ペースを落として進む。
空が青く変わる頃にフランクフルトへ着く。が、網目状の道路。ホステルを予約していたがなかなかたどり着かず。土地勘の無い街で一番確実なのは方位磁石。Googlemapには度々裏切られるから、仕方なくこれ。過去にダウンロードした地図と照らし合わせる。
大都市は一方通行だらけなので、最終的には押す。これが一番近道。すぐに到着した。
オートバイを停めて荷物を片付ける。大都市は物価が高いから修理が終われば直ぐに出て行くつもりだった。
翌日。父の古い友人、小園さんを尋ねた。フランクフルトの隣町。ここには日本の企業が集中しているらしい。
色々と興味深いドイツでのお話を聞かせて頂き、お昼までご馳走になってしまった。大変感謝感激であった。
「天気悪いでしょ?これね、このまま雪に変わるよ。早く南欧までいけるといいね。」
現在地ロンドンより寒かった。なんてこった。こりゃロマンチック街道なんて言ってる場合じゃなさそうだな。
修理をしてくれそうなオートバイショップを探す。
土地勘もないし、インターネットで調べた所で簡単に見つかるものではないと、闇雲に走ってみた。
途中ベスパ屋があったので寄る。友人にもベスパファンが多いからみんな喜ぶと思ったからだ。
「君は何人?どっから来たんだい?」と丁寧に聞かれ
日本人でバイクでロシア渡って来たと話すと大喜び。ついでだから聞いたれ。
「あなた達の友人でホンダのオートバイ扱ってるお店知りません?もうクタクタなんですよ色々と。」
しばらく彼らはドイツ語で会議。
「生憎俺たちの友人達には居ない。しかしなサムライどの、調べてやることは出来るぜ!」
感激!ありがとう!
しばし彼等がネットサーフィンをしてくれた。すぐに見つけてくれて地図を渡してくれる。
「ここなら間違いない!また寄れよ!」
向かうとホンダのディーラー。いや、間違いはないけど…やな予感がした。
掛け合って聞いてみた。
「ウチは古い改造車の修理は請け負わない。」
ははっ、やはり。パーツのスペアはあると話す。
「だとしても二週間待ちだ!もう分かったろ!俺は忙しいんだ!」
ドイツ人がせっかちで喧嘩っ早いのは知っていた。これは国民性なんだろうな。
暫く彷徨うがほかのバイク屋は見つからず。明日にしよう。それがいい。だめな時は深追いしたって仕方が無い。
翌日、あまりに寒く体調を崩す。寒いといってもロシアほどじゃあない。だけど身体は正直だ。昨日から寒い寒いと思っていたが、こりゃ風邪だったんだな。仮にショップが見付かった所で、直ぐに修理にとりかかって貰えるとは限らない。思い切って休む事にした。
フランクフルトで会った方々。右のおばちゃまにスコッチご馳走になった。
日本からの学生さん達。レイ君と吉永さん。
その夜、高校の同級生の海藻選手から連絡が返ってきた。
彼はこの秋からデュッセルドルフに留学し始めるとの話を聞いていた。
「旅人よ、待っている」
僕はフランクフルトを後にした。
クラコウを出て、ポーランドの平和な高速道路。
昨夜のあいつに会わなければもうちょっと満喫するつもりだったんだがな。
平和な平和な高速道路。急ぐ理由はないのだが、なんだか急ぎたくなった。
なぜなら雨。曇りや雨が多い国だと思っていたが、ドンピシャ。自殺ウェザー、金沢みたい。
そういえばヨーロッパからヨーロッパの国境ってどうなってんだろ?また犬とか呼んじゃう?尋問しちゃう?もう慣れっこだよ。こんな小汚い男捕まえてもなんもでないよ…
とか考えてたら、ドイツに。ドイツ語でドイチュランド、英語でジャーマニーだ。
ほほー、気付けば入るのか。ヨーロッパ人のちょいとお出掛けは国際旅行だな。
ヨーロピアンユニオンてことは、一つの国みたいなもん、海外旅行ってのは、日本やその他島国の観念だよな。
ほんでもってみんな言葉が違う。英語が共用語であっても文化も習慣も違う。すぐ隣なのにね。不思議。
しかし、アフリカだったらどうなるよ?あすこも近くても全然違うだろうね。それこそ民族だけじゃなく宗教間の対立だったり。
ポーランドの高速からいきなりアウトバーン。
フツーの高速道路なんだよね。
高速道路の始まりはドイツ。ヒトラーが東西南北を軍が自在に早く移動できるように、作らせた。
しかし当時の国民は車など持ってません。ヒトラーが言いました。
「お金を積み立てて、一家に一台自家用車を持たせようじゃないか!」
これがフォルクス(国民の)ワーゲン(車)の始まりでもある。彼はポルシェ博士に作らせようとした。
国民はおおおー!なんて期待をしたんでしょう。
しかし、戦争が始まる。この積みたてたお金は彼の政治資金と軍事資金に消えました。
ヒトラーはすごく賢い。彼はただの独裁者ではない。時代背景がそうさせたのか力の使い方を激しく間違えた。
芸術に関心もあり、何より彼はワーグナーを愛した。
これ以上書くとヒトラー好きに思われそうだからやめる。何度も言うが僕は「アドルフに告ぐ」のファンなだけ。
そんなアウトバーン、いまでも普通に稼働してます。
もちろんタダです(一部有料らしいですが)
ドイツの莫大な税金から成り立ってます。
走ってて思ったのが、交通マナーが非常にいい。
ヤレた250のエンデューロマシンが時速精々100kmぐらいを走るが、彼らは煽らずスムーズに抜いて追い越し車線から走行車線に。
おもわず「ほほー」なんて関心してしまう。
暫く走れば夕暮れ。土地勘の無さすぎる東ドイツの逸れでキャンプも考えていたが、うまく場所を探す自信も無かったので、アウトバーン沿いの簡易モーテル。
おじさんに泊まれるか尋ねたら、「イック、ビーン、なんとか」
あれ?ドイツはみんな英語話せるんじゃないのか?困った顔してるとOKOKというから着いて行く。ホモじゃねえよな…
ちゃんと泊まれた。15ユーロ。優しい価格だ。初のユーロ使用。ホモじゃねえよな…
ユーロが安い現在。なんもしらんと「やったぁ!ヨーロッパ旅行だ!」なんて喜んでる人は慎みましょう。これはとても危機です。
ユーロが安いのではなく、円が高いのです。つまり、日本の製品が高くなる、売れなくなるという事。これは困まずい。このまま続くと大変危険だ。
今まで日本の製品は安くて質が良かった。だから売れていた。あまり経済に詳しくない人間がこんな事書くと制裁食らわされそうだな。
そんな僕、「わーい安い♪」とよろこんでいた。いや、今も…じゃなきゃGBにこんなに長く居れません。
翌朝も雨。いわゆる全身が雨くさい。
自殺ウェザーのなかフランクフルトへ。父の友人の元にオートバイのパーツが届くフランクフルトへ。現在地ドレスデンより約50km西。あと400km程度。ヨシヨシ。
オートバイはかなり限界だった。スプロケットは尖りすぎてまるで手裏剣のようだった。チェーンの伸びシロも無い。リアのブレーキパッドは とおに無くなり、ただの鉄板になってまだ新しいリアのディスクを虐めていた。フロントフォークの左は、オイルが抜け切っていた。
現時点で走行距離約12000キロ。仕方が無い。走り続けて丸1ヶ月半だった。
なんとかもってくれと祈りながら進む。ドイツに入り初の給油。1.5ユーロ。な、たかっ!なんて思っていた。通りで。オクタン価は95から。日本だとハイオクか?ペースを落として進む。
空が青く変わる頃にフランクフルトへ着く。が、網目状の道路。ホステルを予約していたがなかなかたどり着かず。土地勘の無い街で一番確実なのは方位磁石。Googlemapには度々裏切られるから、仕方なくこれ。過去にダウンロードした地図と照らし合わせる。
大都市は一方通行だらけなので、最終的には押す。これが一番近道。すぐに到着した。
オートバイを停めて荷物を片付ける。大都市は物価が高いから修理が終われば直ぐに出て行くつもりだった。
翌日。父の古い友人、小園さんを尋ねた。フランクフルトの隣町。ここには日本の企業が集中しているらしい。
色々と興味深いドイツでのお話を聞かせて頂き、お昼までご馳走になってしまった。大変感謝感激であった。
「天気悪いでしょ?これね、このまま雪に変わるよ。早く南欧までいけるといいね。」
現在地ロンドンより寒かった。なんてこった。こりゃロマンチック街道なんて言ってる場合じゃなさそうだな。
修理をしてくれそうなオートバイショップを探す。
土地勘もないし、インターネットで調べた所で簡単に見つかるものではないと、闇雲に走ってみた。
途中ベスパ屋があったので寄る。友人にもベスパファンが多いからみんな喜ぶと思ったからだ。
「君は何人?どっから来たんだい?」と丁寧に聞かれ
日本人でバイクでロシア渡って来たと話すと大喜び。ついでだから聞いたれ。
「あなた達の友人でホンダのオートバイ扱ってるお店知りません?もうクタクタなんですよ色々と。」
しばらく彼らはドイツ語で会議。
「生憎俺たちの友人達には居ない。しかしなサムライどの、調べてやることは出来るぜ!」
感激!ありがとう!
しばし彼等がネットサーフィンをしてくれた。すぐに見つけてくれて地図を渡してくれる。
「ここなら間違いない!また寄れよ!」
向かうとホンダのディーラー。いや、間違いはないけど…やな予感がした。
掛け合って聞いてみた。
「ウチは古い改造車の修理は請け負わない。」
ははっ、やはり。パーツのスペアはあると話す。
「だとしても二週間待ちだ!もう分かったろ!俺は忙しいんだ!」
ドイツ人がせっかちで喧嘩っ早いのは知っていた。これは国民性なんだろうな。
暫く彷徨うがほかのバイク屋は見つからず。明日にしよう。それがいい。だめな時は深追いしたって仕方が無い。
翌日、あまりに寒く体調を崩す。寒いといってもロシアほどじゃあない。だけど身体は正直だ。昨日から寒い寒いと思っていたが、こりゃ風邪だったんだな。仮にショップが見付かった所で、直ぐに修理にとりかかって貰えるとは限らない。思い切って休む事にした。
フランクフルトで会った方々。右のおばちゃまにスコッチご馳走になった。
日本からの学生さん達。レイ君と吉永さん。
その夜、高校の同級生の海藻選手から連絡が返ってきた。
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HN:
Minohara
性別:
男性
職業:
ワールドルンペン
趣味:
music & motorcycle
自己紹介:
このたびの災害により、被災または避難された皆様におかれましては、心からお見舞い申し上げます。
1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
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