明日はどっちだ?
[PR]
2024.11.22 Friday
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
UNCHAIN DAYS オムスク〜チュメニ〜エカテリンブルグ〜カザン〜モスクワ
2011.10.05 Wednesday
すんません、ちょいと他の事に夢中でした。
引き続きロシア編が続きます。
ロシア終盤、僕は生き急いでました。
バイクもほぼ毎日乗ってました(当たり前だろ)
長くなりますが、僕とモスクワまで一緒に行ったと思い、申し訳ありませんが、お付き合い下さいな。(あと、早くウクライナ編が書きたい。)
そうオムスクに居た日はとっても暖かかったので半袖一枚。
九月もおわりだから日本でもまだまだ汗ばむのは当然。ここはカザフスタンの国境近くだもの。
昨日充分整備を終えて朝5時起床。荷造り始めて出発。発艦。
まだまだ暖かかったのでセーター+プロテクター+ベルスタッフで出発。
が、幹線道路にでた瞬間極寒になる。…なんなんだよ… 道の外れでオーバーウェアを着込む。
この日は700kmばかり走れば次の街チュメニへ。これぐらいなら一日走っても疲れない。
青看板でるくらいだからきっと大きい街なんだろうか
油田で有名、チュメニ。
中学生で習った覚えがあった。
あぁ、僕は中学の頃の社会の先生があまり好きじゃなかったな。
逸れた。
充分走ったから宿を探すか〜とフラフラ。でかい街なら一つぐらいは…
一軒目「ニエット。」
二軒目「ニエット…」
三軒目「ニエーーーット!イエロースキンは帰れ!(まじで言われました」
四軒目「ニエット。ノー。部屋が無いのよ、次を当たって下さる?(この方親切に次のホテルを教えて下さった」
五軒目「ソーリー、今日は一杯なのよ」
うおあらああああロシアああああぉああ!!!!
いい!しらん!
キャンプ地を探すぜ!真っ暗な中な!と、意気揚々とヤケクソでバイクを走らせた。
あぁ、さみい。おれ、大丈夫かな…デタラメに真っ暗闇の森を走らせた。
…ダメだ!寒いのは我慢する、怖いんだ…くそー、畜生!
もしも、だ。デタラメに野営地を探して、次の朝、熊に起こされたらどうしよう?カラシニコフを持った野盗に起こされたらどうしよう?野犬に囲まれてたらどうしよう?
むむ…
明日は明日の風が吹くよね!(強がり)ロシアキャンプをする方は野営地は明るいうちに、慎重に選ぶべきです。
いいよ、コーヒー飲んで暖まって、朝まで次の街へ走ろう。これが一番安心だよ。あら、小雨だね。いいよね。
カフェに着く。バイクを止める。
あら、なんか警備っぽいおじさんがおるぜ。
警備「おい、お前!バイクこっち停めな。」
僕「はあ?カフェやからここでええよ」
警「ニエット!お前、寒いだろ、泊まってけ。わしがなんとかしたる」
え?え?あっ、ガスチーニッツア(ロシア語で宿)て書いてるがな!救われた!
この後、宿の婆様と警備のおっちゃんの対決
警「こいつ、寒そうじゃ無いか、バイクだぜ、泊めてやれよ」
婆「いやよ、外国人、しかもイポーニツァでしょ?」
警「頼むよ、なんとか。絶対悪いやつじゃないよ」
(以上、臆測)
婆様はしぶしぶ泊めてくれた、が、1000ルーブルを要求。高いよ… 足元みられまくり。警備のおっちゃんに御礼にコーヒーでも飲んでや、と100ルーブル渡したら要らない、と。
警「わし、困ってる奴からそんなんうけとれへん」
あんた、良い奴だな。日本人にもあんたみてえな奴居ねえですよ。
今日泊めて貰えなかっただけでロシアとロシア人がかなり嫌いになったが、おっちゃんのおかげでロシアがまた好きになった。
どうか、長生きしてくれ。僕ぁあんたみたいなおっちゃんになりたいよ。
次の街、エカテリンブルグで会うウラル大学日本語教諭の野口さんに電話。
到着時間アバウトにお昼。大学に居るそうだ。
そしてそんな街道沿いホテルは…
ネズミ宿。屋根裏でドタバタ。そんでトイレが激臭。かっこイイ!泊めてくれたんだもん!イイね!
翌朝、7時起床。当然モーニングなんぞありません。カフェでコーヒーを、
、、、しばらく待ったが出てこないし、担当も居ないから鍵だけ置いて帰った。
この日はとても寒かった。寒いだけならいいよ、雨。
道端でMSRでコーヒー沸かすかと思い止まるが、以前転倒した際に、MSRは真っ二つ。こんな事なら嵩張らないアルコールストーブを用意すべきだったな。
雨足が強くなりレインウェアを着込む。雨足は豪雨、土砂降り。レインウェアも通用しない。最後の靴下も、ずぶ濡れ。
RCサクセションとタイマーズを歌いながら進む。ひた進め。ロシアももう終盤だ。雨の中約400km走る。
エカテリンブルグに到着。寒いのは我慢できる、雨は上がっていた。ずぶ濡れのレインウェアの下は思ったより濡れていなかった。
下着の上は、バイクウェア、オーバーパンツ、レインウェアを履いていたせいか、バイクウェアまでは一切濡れていない。流石だよ。
野口さんに電話。当てずっぽうとナビでレーニン通りを走り、ウラル大学に到着。
初対面にも関わらず、小汚い僕と楽しくお話して下さった。翌日、食料の買い出しに付き合って下さると。
暗くなる前に宿探し。ウラル大学に着く前、郊外を隈なく走っていたので一軒目、目星をつけていた処へ。
またもや気の強そうなおばちゃん、、、手強いぜ…
僕「と、め、て…」
お「もちろん!当たり前じゃないの!」
ざまぁみろ、チュメニ!
しかし、安宿と目論んでいたにも関わらずハバロフスクの優良ホテルとあまり変わらない値段。
まあまあ綺麗だったし、何より泊めてくれただけ有難い。
その日は荷物を運んでシャワーを浴び、すぐ眠る。
翌朝、早めに起床。まあまあした割に朝飯つかづ。いいもん、寒いエカテリンブルグで宿に入れただけ。
近くの雑貨屋でコーヒーとパン。大きな街だとなんでも見付かる。
野口さんと連絡。
大凡目星をつけていた場所へ。
しかし、全然違っていた!白タクで新たな待ち合わせ場所へ。
あ、ちなみにロシアは白タクしかありません。強盗は勘弁。賄賂替りにとフェリーで買った免税韓国マルボロも携帯。しかし問題はなかった。
この日は買い出しと野口さんの日本語が流暢な生徒さん達、日本語クラブの皆様と会う。
左から、野口さん、日本語クラブの皆様。
ワンピース、僕は読んだ事ないけど人気なんだって。へー。
関西弁の教科書をめくる。関西弁の勉強て…
そう、ウクライナ語は方言みたいなもんだと思っていたが、後日書きますがキエフで会ったモスクワ出身クリスティーナの話だと全然違うそうだ。
関西弁も、違うっちゃ違うかな。。。
話に聞くと、僕のホテルがある場所は大変治安が悪いとか。
明るいうちに、去る事に。帰りは少し慌ただしかった。
東京でもバスがわからなかった僕、帰りはそれでもなんとか乗って帰れた。
ロシアの公共交通機関、ロシア語読めなきゃキツイな…
大体三週間近く経っていたので、キリル文字は大分読めるようにはなっていた。
程なくして帰還。東京の阿部くん、田村くん、貫井くん達と久々にSkypeで話す。
翌朝、遅めの起床。ルート的にはM7を通るカザンという街へ。
キャンプ出来るよう、食料もある。野口さんから頂いた緑茶もある。大丈夫。発艦。
この日は久々晴れた。街道沿いのカフェで飯食ってたら、三人組に話しかけられ、ロシア語わかんないけどジェスチャーで盛り上がった。
カザンに行くというと、「ニエット、ニエート!メイビー、ユー、ダイ!ザットイズバッドロード!」
はぁ?しかし、こっからならここしか道ないやん。
「とりあえずペルミへ行け。宿もある。お前にポルトガルまで行って欲しいからいうてんねん!ペルミからキーロフへ行け!」
今思うと、彼らはこう言っていたに違いない。それは次の日に知った。
ペルミの街の入り口にモーテル発見。下にマーケットも付いてた。カップ麺をすすって、眠る。
翌朝、犬の遠吠えで目を覚まし、起床。暗い中、エンジンに火を入れて暖気。
フロントは眠そうだったが起きていた。鍵を返し、発艦。
もうウラル山脈なのか、寒かった。気温は1度。やるね…
1度の気温のなか、オートバイで山を駆け上がる。なんて事はない、寒いのは我慢が効くんだ。暑いのと雨は、嫌い。
中腹から晴れた午後2時。絶景だ。
絶景
モスクワがやっと見えて来た。これだけでも感激。今迄の道のり考えたら1352kmなんて、ヘソで茶を沸かすぜ!
山脈の下りの中、ガソリンスタンドを見つけて入る。この近辺、ガソリンスタンドがあまり無いので、これから走る皆様、携行缶必須です。
見つけて入ったがいいが、何故か前の車が出て行った。
なんでや?と思っていたら彼が、
「ニェ、ベンジーン(ガソリンあらへんで)」
う、売り切れ!?チキショーめ!プルンプルン!予備ガス入れて、リザーブ。こっちもギリギリなんすけど…
走れど走れど、あらんのです。
やばい…やばいぞ…
…
あっ、回さなければ燃費いいのね。5リッターぐらいしか残ってなかったにも関わらず、150kmぐらい走ると見つかった。心底ホッとした。
ガソスタのおばちゃんも何故かホッとしてた。なんのこっちゃい。
夕方近く、小さな街にぶつかる。カフェに入ると街の結婚式に遭遇。
ウェディングドレスの太めなチャンネーに、「ヤ、ハチュ、フォトグラフィエ、トゥギャザー、ダバィ?(写真とりたいんさ」と言われ新郎新婦に囲まれ撮影。
一人運転手が「お前、英語わかる?」と。
運「お前、こっから、危ない、道ない。心配するな、船ある、しかし、今日はもう無い」
僕「え?船てなんや?なんでや?」
運「今日はどっかで泊まれ!お前、今日、いく事、出来ない?」
???
なんのこっちゃい、ガーミンみたらちゃんと道があるぜ。
…ペルミ手前で会った奴が言ってた事…
程なくして走るがダートにあたる。
なんでえ!こんなもん!この程度今迄散々走ったじゃないか!…か?よよ、おろろ、あらぁ… ドシャ(効果音
フロントが取られて転倒。んん?パンク?は、して無い。
足元をみたらパウダーサンドのダート。あぁ〜まいったね。これは大変だ。(他人事みたく)
ヨッコラショとバイクを起こすも、ダメ。マディ時と同じく荷をほどく、も手こずりながら
起こせた!いつもこんな時は、遭難と死を意識してしまう。寒いのに1人汗だく…
薄暗くなってきたので野営地をさがす。
今度は恐れていた奥地でスタック。荷物だけ野営地に運び、設営。なんか大きな足跡が…
た、たまたまだよね、ハハ…
奥で銃声が聴こえた。もう、キャンプは懲り懲りだよ…日本に帰ったら、キャンプ場でぬくぬく焚き火したいなぁ。
疲労が嵩張り、即就寝。寒さも気にならぬほど眠る。此のまま眠ったまま目を覚まさないなんて事はできません。
朝早く起床。雨音に起こされ、そそくさと撤収準備。
雷まで鳴り響く、このままこんな処で二泊するのは最悪だ。街道に戻るにあたって、立ち向かうべく、またもや泥沼の抜け道へ行く。
走れど、走れど、雨、あめ、アメ。
パウダーサンドは水分を含み赤土へ代わる。
ゴーグルは曇りと泥とでぐっちゃぐちゃ。外すとメガネも何もぐちゃぐちゃ。
あっはは、ひでーやと1人笑い出す。耐えろ、堪えろ。これぐらいじゃもう、へこたれないだろうが。
ガーミン頼ってダートを進むと、あっ道が無い… 橋がない… 河やで。
無いじゃん、無いやん、ニェ ロード!
ウホッ♂ あぁん!?
ガーミンみたら河渡ってるし!チキショあらああああ!河渡ったる!
やめた。だって、淀川以上多摩川未満だもの。無理無理。
昨日の運転手の言ってた事を思い出した。遠くをよく見たら車の行列とポンポン船。
積み終わってるようだがなかなか出港しないからクラクションの大合唱。たはは、鳴らしたとこで船は進まないよ。
豪雨から土砂降りに代わり、ようやっと船が出港。気付いたら自分の後ろも車だらけ。
こっち側に到着。車と人が降りてきた。よし、船積んだれられあ!
が、船側が乗せまいと。なんで?ニェーットと時計を指差す。出港迄あと45分。
ここ今何時だ?カザンならモスクワと同時刻なんだが… あぁっ!時間だけモスクワ!がんばれ!おれ!
20分ほど土砂降りの中待たされ、漸く船積み。車も続々と乗る。
料金所担当のおばちゃんに幾らか聞いたら15ルーブル。約45円… 十倍出すから早く進め!なんて思ってしまったが、納得して肩を竦めた。
そして出港!あれ?向こうからくる時よりえらい早いやん。あぁ、もう車乗れないからね。ハラショー…
土砂降りのなか、船が進む。皆車で待機。僕、看板の小さな屋根がある処で雨宿り。
船に乗ってる時間だけなら五分程度。なんなんだ今のは…(ブロリー
所が、停泊してから一向にゲートが開かない。寒さと雨とにヤられてイラつく気にもならない。
小一時間待たされてゲートオープン。僕はパチンコやらない、バーゲンにも行かない。アホくさ。って思っていた彼ら彼女らの気持ちが少し理解できた。直ぐにでも降りたかったが一番始めに積載したため、一番最後に降ろされた。
写真を撮る気にもなんない。
船を降りた道も変わらず、マディのダート。うはは、走ればいつか着くさ。だって誰も悪くはない。
ダートダートダート、しびれんねえ。お、土が固くなって…ターマック。
N本さんが貸してくれたRONG WAY ROUND で ユアンの相棒チャーリーがモンゴル走り抜けて行く際にやっとターマックに出会った時、道路にチュッチュしてたっけ。
当然僕はしませんよ。
しかし昔流行ったYATTA!YATTA!となんかのコメディで歌われてた歌をくちずさんだ。雨、寒い、だけ!前進のみ!後退なし!
路面がみるみる良くなった。イイね!そして晴れてきた!
エカテリンブルグからカザンは1000km程度しかないのだが、攻略するのに丸三日かかった。ウラル山脈とこの雨とこの道だ。仕方ないと思った。
カザン着。ここは有数の国際都市であり、イスラム圏でもある。
モスクの色が余所とは違う。と、野口さんに聞いていた。
とりあえず身も心もぐっちゃぐちゃだったので、こんな姿で泊めてくれるかわからないが、濡れた上着達を脱いで、顔をタオルで拭いてからホテルに聞いてみた。
一軒目はダメだった、が、同じ建物の九階が、別なホテルが貸してるとのこと。行けば問題なく泊めてくれた。
ホテルのレセプションのおばちゃんは
、どのおばちゃんもいつもロビーに座って紅茶飲んでTV見ながら編み物してる。…僕が社長なら貴様らクビだ。
ブーツや上着が可哀想な事になっていた。タオルで拭いて、乾燥しやすい場所へ。
グローブも俗に言う雨臭い。よくこんなんで泊めて貰えたよな、なんて思いながら濡れたもの達を乾かす段取りをして、床に就く。
翌朝、いつもより遅めに起床。サッサと出発する。うまく行けば今日一日でモスクワに到着出来るだろう。
しかし、都会が近くなればなるほど、道が渋滞し始めた。
待てど暮らせど進まない、痺れを切らしてすり抜けを試みる。
行けど行けど、渋滞が終わらない、モスクワまであと500km。これ、続くんかいな?…
どうにもこっちのディーゼルの臭いがキツい。日本はやはり燃料の精製がいいのか、それと触媒の性能も違うのか。酷い頭痛に見舞われたのでこの日中にモスクワ到着するのを諦めた。
運良く街道沿いにモーテルがあったのですぐに入って、眠る。
翌朝、7時起床。
戦争映画の最後辺りの気持ち。もうすぐロシアも終わりだ、最後まで気を抜かぬようと突き進む。
アルファベットの看板。
やはり渋滞だらけ。日本だと群馬千葉埼玉神奈川、周りの県も混むものな。
ゆっくり進んだが、連日の苦行により、尻が痛くなって道のハズレにて休んでいると一台のBMW。
BM「よう、Jマークか、イポーニョだな。どうした?」
僕「渋滞で疲れたから休んでいただけだ、問題ないよ」
B「そうか、モスクワまでもうほんの少しだ。安心しろ。あと、ウチのクラブのステッカーだ。幸運を祈る!」
名前を聞く間もなく、フルスロットルで、去って行った
都会のライダー、というかヨーロッパのライダーの感じだ。ここはもう、モスクワなんだな!
渋滞を抜けたら、中心の城が見えた。現時点で走行距離9700km。熱い物を感じた。
チタのインナの兄弟、アレクセイに電話。
しかし、彼は都会の人なのかなかなか電話にでない。
電話が繋がったがとても素っ気なかった。
「困った事があったら言ってくれ。すまない、しばらくとても忙しいのだ」
あぁ、そうかあ。いや、僕だって親兄弟から「外人がバイクで東京行くから面倒見たってや。」と言われても、仕事が忙しい中なら困っちゃうよね。
でも、今の僕なら面倒見るけど。
目星を付けていたユースへ、予約をしなかった自分が悪い、断られた。世界のど真ん中で僕は疲れて座り込んだ。
そんな所に一組の夫婦。
夫「どした?ライダー?」
僕「宿みつかんないし、疲れたよ」
夫「よし、俺の父ちゃんホテルの偉い人なんだ。モスクワは世界一物価が高い。俺が格安に頼んでやるよ!」
嫁「あんた、すごいラッキーよ!」
僕もそう思った。何を隠そう彼らもバイク乗りだったのだ。
夫「俺はイーマハのYZF R1に乗ってる。見ろよ、ジャケットもダイネーゼだぜ!」
ホテルへ先導してもらう。宿の料金を見ていたら一番安くて8000ルーブル…大丈夫かよ…
嫁「心配しないで、あなたは2000ルーブルでいいのよ。」
ありがとう。優しいのう。
嫁「本当はウチでもよかったんだけど、明日から新婚旅行なのよ。今度またモスクワにおいで!私達がお持て成しするわ!」
親切すぎるインリヤandセルゲイ夫妻
うん、うん、と連絡先を交換。困った時に良い出会いがやってくるんだな。
こんな大都市で、ジ〜ンときた。
翌朝、ウラルとダート越えでゴーグル二つとも破損したので、新しいものを購入するのと、またもやホステルさがし。今度は予約をした。
モスクワの大渋滞。本当に疲れる。ちょっと先に行くだけでも、なんじゃいこりゃ… 東京の比にならんぞえ。
ホステル着。「バイク?ニェーット!」
二軒目「あれ、今日うち空いてないわよ?」
三軒目に行く途中ヤマハの文字を発見。オークリーのスノーモービル用ゴーグルを購入。
ウラジオストクから来たと言っただけでヤマハのお店で撮影攻めに。先を急ぐと言って、早めに去る。
大渋滞をくぐり抜け、漸く最後のホステル。すんなり泊めてくれた。
ここでもバイクか?と聞かれて、都会の人っぽく、素っ気なく
「あんた、キ◯ガイ」と言われた。
明日、モスクワを去ろう。
結局、都会は都会。便利だろうけど、形はあるけど、何にも意味を持たない。
田舎が好きで田舎に憧れる僕は、ただの都会のつまらない人間なんだと思った。それだけで無気力になってしまった。
翌朝、モスクワを、ロシアを出発した。
引き続きロシア編が続きます。
ロシア終盤、僕は生き急いでました。
バイクもほぼ毎日乗ってました(当たり前だろ)
長くなりますが、僕とモスクワまで一緒に行ったと思い、申し訳ありませんが、お付き合い下さいな。(あと、早くウクライナ編が書きたい。)
そうオムスクに居た日はとっても暖かかったので半袖一枚。
九月もおわりだから日本でもまだまだ汗ばむのは当然。ここはカザフスタンの国境近くだもの。
昨日充分整備を終えて朝5時起床。荷造り始めて出発。発艦。
まだまだ暖かかったのでセーター+プロテクター+ベルスタッフで出発。
が、幹線道路にでた瞬間極寒になる。…なんなんだよ… 道の外れでオーバーウェアを着込む。
この日は700kmばかり走れば次の街チュメニへ。これぐらいなら一日走っても疲れない。
青看板でるくらいだからきっと大きい街なんだろうか
油田で有名、チュメニ。
中学生で習った覚えがあった。
あぁ、僕は中学の頃の社会の先生があまり好きじゃなかったな。
逸れた。
充分走ったから宿を探すか〜とフラフラ。でかい街なら一つぐらいは…
一軒目「ニエット。」
二軒目「ニエット…」
三軒目「ニエーーーット!イエロースキンは帰れ!(まじで言われました」
四軒目「ニエット。ノー。部屋が無いのよ、次を当たって下さる?(この方親切に次のホテルを教えて下さった」
五軒目「ソーリー、今日は一杯なのよ」
うおあらああああロシアああああぉああ!!!!
いい!しらん!
キャンプ地を探すぜ!真っ暗な中な!と、意気揚々とヤケクソでバイクを走らせた。
あぁ、さみい。おれ、大丈夫かな…デタラメに真っ暗闇の森を走らせた。
…ダメだ!寒いのは我慢する、怖いんだ…くそー、畜生!
もしも、だ。デタラメに野営地を探して、次の朝、熊に起こされたらどうしよう?カラシニコフを持った野盗に起こされたらどうしよう?野犬に囲まれてたらどうしよう?
むむ…
明日は明日の風が吹くよね!(強がり)ロシアキャンプをする方は野営地は明るいうちに、慎重に選ぶべきです。
いいよ、コーヒー飲んで暖まって、朝まで次の街へ走ろう。これが一番安心だよ。あら、小雨だね。いいよね。
カフェに着く。バイクを止める。
あら、なんか警備っぽいおじさんがおるぜ。
警備「おい、お前!バイクこっち停めな。」
僕「はあ?カフェやからここでええよ」
警「ニエット!お前、寒いだろ、泊まってけ。わしがなんとかしたる」
え?え?あっ、ガスチーニッツア(ロシア語で宿)て書いてるがな!救われた!
この後、宿の婆様と警備のおっちゃんの対決
警「こいつ、寒そうじゃ無いか、バイクだぜ、泊めてやれよ」
婆「いやよ、外国人、しかもイポーニツァでしょ?」
警「頼むよ、なんとか。絶対悪いやつじゃないよ」
(以上、臆測)
婆様はしぶしぶ泊めてくれた、が、1000ルーブルを要求。高いよ… 足元みられまくり。警備のおっちゃんに御礼にコーヒーでも飲んでや、と100ルーブル渡したら要らない、と。
警「わし、困ってる奴からそんなんうけとれへん」
あんた、良い奴だな。日本人にもあんたみてえな奴居ねえですよ。
今日泊めて貰えなかっただけでロシアとロシア人がかなり嫌いになったが、おっちゃんのおかげでロシアがまた好きになった。
どうか、長生きしてくれ。僕ぁあんたみたいなおっちゃんになりたいよ。
次の街、エカテリンブルグで会うウラル大学日本語教諭の野口さんに電話。
到着時間アバウトにお昼。大学に居るそうだ。
そしてそんな街道沿いホテルは…
ネズミ宿。屋根裏でドタバタ。そんでトイレが激臭。かっこイイ!泊めてくれたんだもん!イイね!
翌朝、7時起床。当然モーニングなんぞありません。カフェでコーヒーを、
、、、しばらく待ったが出てこないし、担当も居ないから鍵だけ置いて帰った。
この日はとても寒かった。寒いだけならいいよ、雨。
道端でMSRでコーヒー沸かすかと思い止まるが、以前転倒した際に、MSRは真っ二つ。こんな事なら嵩張らないアルコールストーブを用意すべきだったな。
雨足が強くなりレインウェアを着込む。雨足は豪雨、土砂降り。レインウェアも通用しない。最後の靴下も、ずぶ濡れ。
RCサクセションとタイマーズを歌いながら進む。ひた進め。ロシアももう終盤だ。雨の中約400km走る。
エカテリンブルグに到着。寒いのは我慢できる、雨は上がっていた。ずぶ濡れのレインウェアの下は思ったより濡れていなかった。
下着の上は、バイクウェア、オーバーパンツ、レインウェアを履いていたせいか、バイクウェアまでは一切濡れていない。流石だよ。
野口さんに電話。当てずっぽうとナビでレーニン通りを走り、ウラル大学に到着。
初対面にも関わらず、小汚い僕と楽しくお話して下さった。翌日、食料の買い出しに付き合って下さると。
暗くなる前に宿探し。ウラル大学に着く前、郊外を隈なく走っていたので一軒目、目星をつけていた処へ。
またもや気の強そうなおばちゃん、、、手強いぜ…
僕「と、め、て…」
お「もちろん!当たり前じゃないの!」
ざまぁみろ、チュメニ!
しかし、安宿と目論んでいたにも関わらずハバロフスクの優良ホテルとあまり変わらない値段。
まあまあ綺麗だったし、何より泊めてくれただけ有難い。
その日は荷物を運んでシャワーを浴び、すぐ眠る。
翌朝、早めに起床。まあまあした割に朝飯つかづ。いいもん、寒いエカテリンブルグで宿に入れただけ。
近くの雑貨屋でコーヒーとパン。大きな街だとなんでも見付かる。
野口さんと連絡。
大凡目星をつけていた場所へ。
しかし、全然違っていた!白タクで新たな待ち合わせ場所へ。
あ、ちなみにロシアは白タクしかありません。強盗は勘弁。賄賂替りにとフェリーで買った免税韓国マルボロも携帯。しかし問題はなかった。
この日は買い出しと野口さんの日本語が流暢な生徒さん達、日本語クラブの皆様と会う。
左から、野口さん、日本語クラブの皆様。
ワンピース、僕は読んだ事ないけど人気なんだって。へー。
関西弁の教科書をめくる。関西弁の勉強て…
そう、ウクライナ語は方言みたいなもんだと思っていたが、後日書きますがキエフで会ったモスクワ出身クリスティーナの話だと全然違うそうだ。
関西弁も、違うっちゃ違うかな。。。
話に聞くと、僕のホテルがある場所は大変治安が悪いとか。
明るいうちに、去る事に。帰りは少し慌ただしかった。
東京でもバスがわからなかった僕、帰りはそれでもなんとか乗って帰れた。
ロシアの公共交通機関、ロシア語読めなきゃキツイな…
大体三週間近く経っていたので、キリル文字は大分読めるようにはなっていた。
程なくして帰還。東京の阿部くん、田村くん、貫井くん達と久々にSkypeで話す。
翌朝、遅めの起床。ルート的にはM7を通るカザンという街へ。
キャンプ出来るよう、食料もある。野口さんから頂いた緑茶もある。大丈夫。発艦。
この日は久々晴れた。街道沿いのカフェで飯食ってたら、三人組に話しかけられ、ロシア語わかんないけどジェスチャーで盛り上がった。
カザンに行くというと、「ニエット、ニエート!メイビー、ユー、ダイ!ザットイズバッドロード!」
はぁ?しかし、こっからならここしか道ないやん。
「とりあえずペルミへ行け。宿もある。お前にポルトガルまで行って欲しいからいうてんねん!ペルミからキーロフへ行け!」
今思うと、彼らはこう言っていたに違いない。それは次の日に知った。
ペルミの街の入り口にモーテル発見。下にマーケットも付いてた。カップ麺をすすって、眠る。
翌朝、犬の遠吠えで目を覚まし、起床。暗い中、エンジンに火を入れて暖気。
フロントは眠そうだったが起きていた。鍵を返し、発艦。
もうウラル山脈なのか、寒かった。気温は1度。やるね…
1度の気温のなか、オートバイで山を駆け上がる。なんて事はない、寒いのは我慢が効くんだ。暑いのと雨は、嫌い。
中腹から晴れた午後2時。絶景だ。
絶景
モスクワがやっと見えて来た。これだけでも感激。今迄の道のり考えたら1352kmなんて、ヘソで茶を沸かすぜ!
山脈の下りの中、ガソリンスタンドを見つけて入る。この近辺、ガソリンスタンドがあまり無いので、これから走る皆様、携行缶必須です。
見つけて入ったがいいが、何故か前の車が出て行った。
なんでや?と思っていたら彼が、
「ニェ、ベンジーン(ガソリンあらへんで)」
う、売り切れ!?チキショーめ!プルンプルン!予備ガス入れて、リザーブ。こっちもギリギリなんすけど…
走れど走れど、あらんのです。
やばい…やばいぞ…
…
あっ、回さなければ燃費いいのね。5リッターぐらいしか残ってなかったにも関わらず、150kmぐらい走ると見つかった。心底ホッとした。
ガソスタのおばちゃんも何故かホッとしてた。なんのこっちゃい。
夕方近く、小さな街にぶつかる。カフェに入ると街の結婚式に遭遇。
ウェディングドレスの太めなチャンネーに、「ヤ、ハチュ、フォトグラフィエ、トゥギャザー、ダバィ?(写真とりたいんさ」と言われ新郎新婦に囲まれ撮影。
一人運転手が「お前、英語わかる?」と。
運「お前、こっから、危ない、道ない。心配するな、船ある、しかし、今日はもう無い」
僕「え?船てなんや?なんでや?」
運「今日はどっかで泊まれ!お前、今日、いく事、出来ない?」
???
なんのこっちゃい、ガーミンみたらちゃんと道があるぜ。
…ペルミ手前で会った奴が言ってた事…
程なくして走るがダートにあたる。
なんでえ!こんなもん!この程度今迄散々走ったじゃないか!…か?よよ、おろろ、あらぁ… ドシャ(効果音
フロントが取られて転倒。んん?パンク?は、して無い。
足元をみたらパウダーサンドのダート。あぁ〜まいったね。これは大変だ。(他人事みたく)
ヨッコラショとバイクを起こすも、ダメ。マディ時と同じく荷をほどく、も手こずりながら
起こせた!いつもこんな時は、遭難と死を意識してしまう。寒いのに1人汗だく…
薄暗くなってきたので野営地をさがす。
今度は恐れていた奥地でスタック。荷物だけ野営地に運び、設営。なんか大きな足跡が…
た、たまたまだよね、ハハ…
奥で銃声が聴こえた。もう、キャンプは懲り懲りだよ…日本に帰ったら、キャンプ場でぬくぬく焚き火したいなぁ。
疲労が嵩張り、即就寝。寒さも気にならぬほど眠る。此のまま眠ったまま目を覚まさないなんて事はできません。
朝早く起床。雨音に起こされ、そそくさと撤収準備。
雷まで鳴り響く、このままこんな処で二泊するのは最悪だ。街道に戻るにあたって、立ち向かうべく、またもや泥沼の抜け道へ行く。
走れど、走れど、雨、あめ、アメ。
パウダーサンドは水分を含み赤土へ代わる。
ゴーグルは曇りと泥とでぐっちゃぐちゃ。外すとメガネも何もぐちゃぐちゃ。
あっはは、ひでーやと1人笑い出す。耐えろ、堪えろ。これぐらいじゃもう、へこたれないだろうが。
ガーミン頼ってダートを進むと、あっ道が無い… 橋がない… 河やで。
無いじゃん、無いやん、ニェ ロード!
ウホッ♂ あぁん!?
ガーミンみたら河渡ってるし!チキショあらああああ!河渡ったる!
やめた。だって、淀川以上多摩川未満だもの。無理無理。
昨日の運転手の言ってた事を思い出した。遠くをよく見たら車の行列とポンポン船。
積み終わってるようだがなかなか出港しないからクラクションの大合唱。たはは、鳴らしたとこで船は進まないよ。
豪雨から土砂降りに代わり、ようやっと船が出港。気付いたら自分の後ろも車だらけ。
こっち側に到着。車と人が降りてきた。よし、船積んだれられあ!
が、船側が乗せまいと。なんで?ニェーットと時計を指差す。出港迄あと45分。
ここ今何時だ?カザンならモスクワと同時刻なんだが… あぁっ!時間だけモスクワ!がんばれ!おれ!
20分ほど土砂降りの中待たされ、漸く船積み。車も続々と乗る。
料金所担当のおばちゃんに幾らか聞いたら15ルーブル。約45円… 十倍出すから早く進め!なんて思ってしまったが、納得して肩を竦めた。
そして出港!あれ?向こうからくる時よりえらい早いやん。あぁ、もう車乗れないからね。ハラショー…
土砂降りのなか、船が進む。皆車で待機。僕、看板の小さな屋根がある処で雨宿り。
船に乗ってる時間だけなら五分程度。なんなんだ今のは…(ブロリー
所が、停泊してから一向にゲートが開かない。寒さと雨とにヤられてイラつく気にもならない。
小一時間待たされてゲートオープン。僕はパチンコやらない、バーゲンにも行かない。アホくさ。って思っていた彼ら彼女らの気持ちが少し理解できた。直ぐにでも降りたかったが一番始めに積載したため、一番最後に降ろされた。
写真を撮る気にもなんない。
船を降りた道も変わらず、マディのダート。うはは、走ればいつか着くさ。だって誰も悪くはない。
ダートダートダート、しびれんねえ。お、土が固くなって…ターマック。
N本さんが貸してくれたRONG WAY ROUND で ユアンの相棒チャーリーがモンゴル走り抜けて行く際にやっとターマックに出会った時、道路にチュッチュしてたっけ。
当然僕はしませんよ。
しかし昔流行ったYATTA!YATTA!となんかのコメディで歌われてた歌をくちずさんだ。雨、寒い、だけ!前進のみ!後退なし!
路面がみるみる良くなった。イイね!そして晴れてきた!
エカテリンブルグからカザンは1000km程度しかないのだが、攻略するのに丸三日かかった。ウラル山脈とこの雨とこの道だ。仕方ないと思った。
カザン着。ここは有数の国際都市であり、イスラム圏でもある。
モスクの色が余所とは違う。と、野口さんに聞いていた。
とりあえず身も心もぐっちゃぐちゃだったので、こんな姿で泊めてくれるかわからないが、濡れた上着達を脱いで、顔をタオルで拭いてからホテルに聞いてみた。
一軒目はダメだった、が、同じ建物の九階が、別なホテルが貸してるとのこと。行けば問題なく泊めてくれた。
ホテルのレセプションのおばちゃんは
、どのおばちゃんもいつもロビーに座って紅茶飲んでTV見ながら編み物してる。…僕が社長なら貴様らクビだ。
ブーツや上着が可哀想な事になっていた。タオルで拭いて、乾燥しやすい場所へ。
グローブも俗に言う雨臭い。よくこんなんで泊めて貰えたよな、なんて思いながら濡れたもの達を乾かす段取りをして、床に就く。
翌朝、いつもより遅めに起床。サッサと出発する。うまく行けば今日一日でモスクワに到着出来るだろう。
しかし、都会が近くなればなるほど、道が渋滞し始めた。
待てど暮らせど進まない、痺れを切らしてすり抜けを試みる。
行けど行けど、渋滞が終わらない、モスクワまであと500km。これ、続くんかいな?…
どうにもこっちのディーゼルの臭いがキツい。日本はやはり燃料の精製がいいのか、それと触媒の性能も違うのか。酷い頭痛に見舞われたのでこの日中にモスクワ到着するのを諦めた。
運良く街道沿いにモーテルがあったのですぐに入って、眠る。
翌朝、7時起床。
戦争映画の最後辺りの気持ち。もうすぐロシアも終わりだ、最後まで気を抜かぬようと突き進む。
アルファベットの看板。
やはり渋滞だらけ。日本だと群馬千葉埼玉神奈川、周りの県も混むものな。
ゆっくり進んだが、連日の苦行により、尻が痛くなって道のハズレにて休んでいると一台のBMW。
BM「よう、Jマークか、イポーニョだな。どうした?」
僕「渋滞で疲れたから休んでいただけだ、問題ないよ」
B「そうか、モスクワまでもうほんの少しだ。安心しろ。あと、ウチのクラブのステッカーだ。幸運を祈る!」
名前を聞く間もなく、フルスロットルで、去って行った
都会のライダー、というかヨーロッパのライダーの感じだ。ここはもう、モスクワなんだな!
渋滞を抜けたら、中心の城が見えた。現時点で走行距離9700km。熱い物を感じた。
チタのインナの兄弟、アレクセイに電話。
しかし、彼は都会の人なのかなかなか電話にでない。
電話が繋がったがとても素っ気なかった。
「困った事があったら言ってくれ。すまない、しばらくとても忙しいのだ」
あぁ、そうかあ。いや、僕だって親兄弟から「外人がバイクで東京行くから面倒見たってや。」と言われても、仕事が忙しい中なら困っちゃうよね。
でも、今の僕なら面倒見るけど。
目星を付けていたユースへ、予約をしなかった自分が悪い、断られた。世界のど真ん中で僕は疲れて座り込んだ。
そんな所に一組の夫婦。
夫「どした?ライダー?」
僕「宿みつかんないし、疲れたよ」
夫「よし、俺の父ちゃんホテルの偉い人なんだ。モスクワは世界一物価が高い。俺が格安に頼んでやるよ!」
嫁「あんた、すごいラッキーよ!」
僕もそう思った。何を隠そう彼らもバイク乗りだったのだ。
夫「俺はイーマハのYZF R1に乗ってる。見ろよ、ジャケットもダイネーゼだぜ!」
ホテルへ先導してもらう。宿の料金を見ていたら一番安くて8000ルーブル…大丈夫かよ…
嫁「心配しないで、あなたは2000ルーブルでいいのよ。」
ありがとう。優しいのう。
嫁「本当はウチでもよかったんだけど、明日から新婚旅行なのよ。今度またモスクワにおいで!私達がお持て成しするわ!」
親切すぎるインリヤandセルゲイ夫妻
うん、うん、と連絡先を交換。困った時に良い出会いがやってくるんだな。
こんな大都市で、ジ〜ンときた。
翌朝、ウラルとダート越えでゴーグル二つとも破損したので、新しいものを購入するのと、またもやホステルさがし。今度は予約をした。
モスクワの大渋滞。本当に疲れる。ちょっと先に行くだけでも、なんじゃいこりゃ… 東京の比にならんぞえ。
ホステル着。「バイク?ニェーット!」
二軒目「あれ、今日うち空いてないわよ?」
三軒目に行く途中ヤマハの文字を発見。オークリーのスノーモービル用ゴーグルを購入。
ウラジオストクから来たと言っただけでヤマハのお店で撮影攻めに。先を急ぐと言って、早めに去る。
大渋滞をくぐり抜け、漸く最後のホステル。すんなり泊めてくれた。
ここでもバイクか?と聞かれて、都会の人っぽく、素っ気なく
「あんた、キ◯ガイ」と言われた。
明日、モスクワを去ろう。
結局、都会は都会。便利だろうけど、形はあるけど、何にも意味を持たない。
田舎が好きで田舎に憧れる僕は、ただの都会のつまらない人間なんだと思った。それだけで無気力になってしまった。
翌朝、モスクワを、ロシアを出発した。
PR
COMMENT
- 無題
-
毎回、地図とブログを照らし合わせてます!
進んでますね☆
東京も急激に寒くなってます
こっちでヌクヌクと何でもあるようでほとんど進歩の無い生活してると、そっちの何にも無いようで全てを得ている日々が羨ましい(^^)
- 無題
-
ちびまるこさん
こんにちは。
それは知らなかったです。結局モスクワはどこも観光しなかったですよ。
あきらさん
こんにちは。
地図で見たら大体2500kmぐらいですね。
試練でした、が、こんな苦労はこれからまだまだ付きまといそうなので、がむばります!
東京も寒くなってきたのですね。
お体に、お気をつけて。
- ウラル越えひどい目に逢ったね
-
ロシア総括の第1部と第2部読みました。
第2部が具体的で面白い。
チュメニはひどかったね、ニエット、ニエットの嵐だったね。
宿の婆さんは皆恐いね。土壇場で警備のオッサンが善人で助かったね。
さて、ウラル越えはさんざんな目に逢ったね、エカテリンブルグでライダー三人組
から助言を受けたね、
カザン?馬鹿言うな、先ずペルミへ行け、
「ニエット、ニエート!メイビー、ユー、ダイ!ザットイズバッドロード!」
と、素直に聴けば良かったのにね。
15君はあんなドロドロ道に迷い込み「唯前進あるのみ」と旧日本軍みたいな事を言って
あげく名も知らぬ、あの貧相な渡船場に着く、時代劇出て来る「矢切の渡し」みたい、ひどい目に逢ったね。
…もっとも、三人組とは手振り身振りで意味は後で判ったみたいだが…
爺は暇にまかせて「googleマップ」と照らし合わせて君のブログを読んでいるのだ。
googleは凄いね、地図、google Earth、航空写真等々と照合しながら見てます。
鉄道はエカテリンブルグからペルミへと走っている。道路もこの線が幹線である。
釈迦に説法だが、何故君は素直にこの幹線(p-242)を行かなかったのだろう?
「google Earth」は凄いね、ペルミを拡大する、三本の橋がカマ川に掛かっている。
橋上の車や人まで判る、しかも3D画面表示でだ。
中央がシベリア鉄道橋で他が立派な道路橋である。これを渡ればM7に直ぐにのる。
爺は君が何処の渡船場についたのか「google Earth」で探索している。
とにかくカザンに着き、モスクワに着いたことお目出度う。
ご苦労様でした。
大都会になれば何処も人情は薄くなる、これは仕方がないね、
それでも、ライダーが声をかけてくれる嬉しいね。
それでは、次の更新を待っています。
安全な旅を祈る。
niigata jii ba
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
リンク
フリーエリア
最新コメント
[02/06 ちびまるこ]
[02/06 A10]
[01/29 15]
[01/29 niigatajiiba]
[01/29 15]
最新記事
(08/28)
(07/23)
(03/28)
(03/28)
(03/27)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
Minohara
性別:
男性
職業:
ワールドルンペン
趣味:
music & motorcycle
自己紹介:
このたびの災害により、被災または避難された皆様におかれましては、心からお見舞い申し上げます。
1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
1986年生まれ
三年半勤めた建築写真事務所を退社後、
2011年8月27日よりオートバイで大陸に乗り込む。
ブログ内検索
最古記事
(04/26)
(05/10)
(05/26)
(07/02)
(08/04)
P R